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Organic Life to all the people.

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本物のオーガニックが見つかるオーガニックショップ IN YOU Market 本物のオーガニックが見つかるオーガニックショップ
IN YOU Market

【インタビュー】今こそ積極的に関わりたい「自然食品店」の意義。人間性復古を訴える父娘が語る、人間交流の場としての機能と野菜をとりまくリアルな現状

【インタビュー】今こそ積極的に関わりたい「自然食品店」の意義。人間性復古を訴える父娘が語る、人間交流の場としての機能と野菜をとりまくリアルな現状


– 野菜も人も、無理に成長させず、ゆっくりと育てた方が良い –

– 個性をどんどんなくされ、均一化され、便利にされている。そして人間も野菜と同じ –

– 野菜を通して見えてきた無個性人間の出荷の現状 –



昨今、他者とネットで交流する機会が増えてきましたが、皆様はどの様にお過ごしでしょうか。

「極力外出をしないように気を付けている」という方もいらっしゃれば、反対に「これ以上籠っていても仕方ないのでは」というお考えの方もおられます。

いずれにせよ「感染対策」の元、人の集まる機会が減っているという現状は恐らく間違いないものと思われます。

その様な状況が続いている今、「買い物だけでなく、ちょっとした相談やお話なども気兼ねなくできる自然食品店の魅力」について、そして「プロの目から見た野菜を取り巻く現状」について、ナチュラルフーズ・ドングリを経営されておられるお二人(赤塚義之さん、瑠美さん)にお話を伺ってまいりました。

本記事では、取材を進めている内に私が感じた「食を取り巻くリアルな怖さ」や、一般消費者からは見えにくい「生産者や流通に関するお話」、また、「野菜は愛情をかけると応えてくれる」など、ぜひ共有したいと感じた内容を、皆様に余すことなくお伝えできればと思います。

【以下話者】
ず:ZuYu(本稿執筆者)
ろ:同行インタビュアー
義:赤塚義之さん(お店のご主人)
瑠:赤塚瑠美さん(ご主人の娘様)


自然食品店を始めたきっかけやスタンスについて、赤塚義之さん・瑠美さん父娘にお伺いしました



ず:
お店に買い物に伺うたびに嬉しく思うことがあります。例えば、色々なお話を伺ったり、レシピを教えて頂いたり。

それだけでなく、置いているお野菜がとても美味しいと感じるのですが、ドングリさんは、どのようなスタンスでお店をされているのでしょうか?

義:
昔は個人商店が色々あり、みんなそこで買っていましたが、高度成長期から大きなスーパーが乱立してきて、そこでは会話がありませんでした。

お店側は売るだけ、レジがあって計算するだけ、ものも並んでいるだけ。

でも、個人商店だと色々なお話ができますよね。

昔の商店街やったら子供が悪い事をすれば誰かが叱ってくれたり、教育の場としても機能していたのではないかと学生時代から感じていました。

「スーパーではできないことができる」というのが個人商店の強みであり、特徴だと思います。

それに、身体を立て直さないといけない方も多いので、そういう部分でお店を活用してもらったり、アドバイスなどができればと考えています。

ず:
現在の、自然食品店の様な方向に向いたきっかけは何だったのでしょうか?



義:
学生時代、世の中がおかしいと思い始め、少しでも世の中をよくするにはどうしたらいいのかと疑問に思うようになりました。

その中で、食べ物を変えれば、人も変わるのではないかと思い至ったのです。人は食べ物が原点なのではないかと。

僕らの学生時代、世の中がおかしいから変えていこうという運動がありましたが、それも下火になり、気持ちが白けていた70-80年代。

過激な運動も落ち着き、何をやっても変わらないのでは?という雰囲気がありました。

そのときに、このままではいけないと感じていました。

同時代にはフォ-クソングブームがあり、音楽で何かできればという考えもありましたが、そこはやはり食べ物かなと。

瑠:
おおまかには聞いていたけど、その話は知りませんでした。

実は最初、私はあまりお店を継ぐつもりがありませんでした。社会に出て、サラリーマンになって、(所謂)まっとうにお金を稼ごうと思っていたんです。

昔は皆と同じようにファーストフードが食べられなくて、でも他の皆はカラフルで美味しそうなお弁当を食べていたり、周囲の生活に対する憧れをもっていました。

当初は自分で稼いで、皆と同じように暮らしたいと考えていたのですが、会社の営業で飲み会が続くなど、働いている内に体調が崩れてきてしまいました。

そこで親に相談したら「お昼は自分で作ったお弁当を食べるように」などのアドバイスをもらって、そうこうしている内に、やっぱり食事が大事だと気付いて、お店に戻ってきていました。

最初はサラリーをもらっている方がどれだけいいかという考えや、スーツへの憧れがありました。



親からは「好きな髪形もできないし、人から雇われるということは、そういうことなんだよ」と諭されましたが、当時の私には響かなかった。

でも、自分が好きだと思える仕事ができるのはどれだけ素敵なことかと、今だから分かります。

昔は、あの地味なお弁当がどれだけ自分の体を作っていたか分からなかったけど、今は分かるようになりました。

大病もしなくなりましたし、今では身体も強くなったし、多分、昔からお店のものを食べて育っていたからだと思うのですが、自分に合わないものを食べると体が反応するからか、すぐ出せるようになりました。

ドングリは色んな人に寄り添えるというか、話をしたい人、あまり話したくない人、その両方を感じ取りながら接客するのも楽しいです。

私もつい好きなので、野菜が好きそうな人がいたら沢山お話してしまうこともあるけれど、触れられたくない方もいらっしゃったりしていて、全体のそれぞれ、いろんな人が来るのが楽しい。

大型のスーパーで機械的にやっているのでは感じ取れない、父母が作ってきたドングリをみて、そう思います。

うちの棚はぐちゃぐちゃなんだけど、それはそれぞれのお客さんから「あれはないか、これはないか」という要望がありまして、それに応えてきた結果、そういう棚になってしまったという経緯があります(笑)

棚通りにできなくて(笑)、でもそれがどんぐりの良さだと思っています。

ず:
ドングリさんの場合は、お客さまと共にできてきたお店ということですね。



瑠:
自然食品店としてもちろん扱う基準的なものはありますが、お客様から欲しいと言われた時に、探せるものはできるだけ探すというスタンスをとっているので、棚に乗りきらない(笑)

だから、1つ2つしか在庫がない、というものも多いんです。

在庫がない事をお客さまに指摘されて気付くこともよくあります(笑)

それって、普通の発想からすればひどい管理状況で最低かもしれないけれど、そういう部分も含めてすごく楽しい。

ず:
見ていてもすごく楽しいです。これまでお店の棚を見ていて、どのようなコンセプトで商品を集めておられるのか、とても気になっていたのですが、今のお話で分かりました。グルーブ感ですね(笑)

瑠:
私が東京で働いていた場所は、基準が明確にあるお店だったので、ドングリに帰ってきたての頃は「これは私の基準にそぐわない」とか「これは(完璧でない)ジャンキーなオーガニックでは?」と思うようなものもあって、今考えれば少し尖っていました。

ず:
私も、瑠美さんと同じ様な道を辿ってきた覚えがあります(笑)

極端な時期、ありますよね。

瑠:
例えばノンカップ麺、これは大手のカップ麺と同じだと思っていました。



でもやっぱり、いろんな局面で、忙しい生活の中で、できるだけ安全で、こういうものにお世話になることも時にはあってもいいのかなと考えるようになりました。

ただ、同時にそういう暮らし方を考え直していくことが必要だとも感じています。

うちの店は商品にふり幅があるので、色々な人に寄り添えるというのが、うちの父母の素敵な所だと思いました。

極端なラインナップだと、購入しづらくなる人がいたり、高級品とかオーガニックはお金を払わないと買えないみたいな感じになってしまいます。

ドングリは、お客様のニーズに応えている間に、できるだけ沢山の人に寄り添えるラインナップになったという感じです(笑)


-店内には厳選されたBIOワイン等も並んでいる-

義:
気が付いたらそうなっていました。

瑠:
そこが一番私は気に入っています。

ず:
お店にお伺いしている身としては、とても買い物がしやすいです。何より居心地が良いですね。

商品が極端なラインナップに偏っていると、意外に欲しいものがなくてお店をはしごする必要が出たりするのですが、仰る様に、幅があるとまとめて買いやすいように感じます。

瑠:
尖った方向に走ってくれる人たちの役割があって背中を追いかける部分もあるけど、ドングリのぶれない部分は「沢山の人に寄り添う」という所だと感じています。

ろ:
私は自然食品店のイメージが「ストイックな人たちのお店」で、最初は緊張して入れませんでした。

ドングリさんみたいな商品に幅のある自然食品店は珍しい気がします。

ストイックな人たちが集まるお店の人に「それはだめよ」とダメ出しされる事があるけれど、そういう厳しさもなくて、とても通いやすいです。

ず:
通いやすい雰囲気って大きいですね。

排他的でスタンスが合わなかったり、「これはだめ、あれはダメ」を強要されると辛いので。

ドングリさんはそういう厳しい部分を共有しようとされるような事がなくて、お店とお客様がある意味うまく切り離されているのが、安心できる理由かもしれないと感じます。

瑠:
暮らし方も、食べ方も、身体の立て直し方もそれぞれに合うものがある、というのが父のスタンスです。

それぞれの生活や身体は一つずつ違うから、これが良いこれが悪い等と、一概に決められない
という発想が両親にはあると感じています。

それぞれの方と、都度しっかり向き合わないと。

義:
それが一番理想です、それぞれ色んな人がいるから。

その人その人が一番気持ちよくなる方向にうまく寄り添っていけたらと思っています。

瑠:
話だけされに来られる方もおられますし(笑)

義:
一種のカウンセリングみたいになっています(笑)

ず:
自分は、お店に入ったら買い物しないといけないと感じるようなことがあるのですが、ドングリさんの場合は気軽に入れる雰囲気がお客様に伝わっている、ということのように感じます。

瑠:
それでも入りにくい人もいると思います、いっぱい(笑)

お店が目に入らない人もいます、突然「いつできたんですか」と聞かれたりすることもあります。

これは不思議なもので、何か縁的なものがあるのかなと感じることがあります。

ず:
自分も、場所を知っている靴屋に向かったにもかかわらず、二人で靴屋を目指して全く見つからなかったという経験があります。

その時は、結局靴屋が見つからなかったことで、たまたま違う良いものを買う事が出来たのですが、その方の状態で見えたり見えなかったり(目に入ったり、入らなかったり)、みたいな事があるのかもしれないですね。

例えば、求めていない時には見つからないみたいな(笑)

瑠・義:
本当にご縁みたいな感じですよね。

かける愛情次第で、野菜のポテンシャルが変化する?



ず:
瑠美さんはお野菜にとても精通されているようですが、どうしてお野菜に興味を持たれたのですか?

瑠:
私は仕事で体調を崩した事がきっかけです。

職場の人間関係は良かったのですが、当時の仕事自体にやりがいを感じられませんでした。

その中で食事が大事なのではないかと思い始めていた頃、内海(聡)先生の情報をFBでみたり、セミナーに参加する機会がありまして。

父と母が言っていた事と同じような部分があるな、面白いなと感じ、やっぱり食の勉強がしたいと考えるようになりました。

そこで実家に戻ろうと思ったのですが、今は折角東京にいるし、変わった人もこちらの方が多いだろうから、こちらで仕事をしようと思った時に、ご縁でレストランで働くことになりました。

そこが自然栽培・無農薬無肥料の野菜を扱っているお店で、そこで勤めているときに野菜のポテンシャルの高さ、美味しさに気付きました。

義:
娘は東京で野菜の勉強をして、色々面白い経験をして、野菜オタクみたいになりました。

ず:
野菜にかける熱量がすごいですよね。

自分は2011年頃から身体のことを気遣う様になりましたが、元々あまり野菜は食べなかったので、無農薬の野菜なんて大したことない、サプリメントの方が大事じゃない?と以前は思っていました。

まず、添加物はとらない方が良いという所からスタートして、(添加物の少ない)できるだけ自然なサプリをとるようにしていました。

当初は、あまり食事のポテンシャルをそこまで重視していませんでした。



時期的に言えば、ドングリさんに通う機会ができた頃から少しお野菜に興味が出てきまして、その内に瑠美さんがお店に帰ってこられて、お店に並ぶお野菜のラインナップが強化されてきて、なんだかお野菜がキラキラしているなと感じるようになってきました。

ドングリさんで買うお野菜は本当に美味しいです。

他の所でも無農薬のお野菜を扱っておられる所はもちろんありますし、ドングリさんに並んでいるものと同じ農家さん生産者さんだろうなというお野菜でも、ドングリさんに並んでいるものと、他のお店に並んでいるものとで、何故か味や購買意欲、お野菜の表情に違いを感じます。

ろ:
ほかのお店と比べて扱いがそんなに違うようなことはないだろうけど、お野菜も植物なので、とても大事にされている事が違いになっているのでしょうか。

義:
野菜への愛情が深いという所は、娘を見ていて感じます。

下に空き箱があって、その上に野菜が乗っていた時に、下の箱を足を使ってどかそうとしただけで「足を使わないで」と怒られました(笑)

ず・ろ:
それがキラキラ野菜の秘密じゃないですか!

全く同じ野菜で、同じ日に収穫され、同じ日に並べられたものでも、何か違うんです。

野菜が愛情に応えてくれているのかもしれません。

他のお店で、決して悪くなくて、むしろ良いお野菜のはずなのに、何か手が伸びないと感じることがあるのですが、そこが愛情深さ(野菜の扱い方)の違い、なのかもしれません。

義:
地面においても問題のないようなじゃがいもであっても、直置きではなく新聞紙を敷いたとしても、下に直接置かないでと言われます。

ず:
自分はそこまで粗末には扱ってないつもりですが、食品は食品という目でみてしまうので、そういう風に愛情をかけられるのはすごいですね。

やはりご両親の育て方が影響を与えているのではないかなと思います。

お野菜の日持ちも、単純に無農薬だから長いという簡単なものではないと思います。


違うお店で自然栽培のものを買っても、何かドングリさんで買った場合と明らかに日持ちが違います。

うちにいるインコも、お野菜への食いつきがとても凄いです。

お野菜は収穫されても生きているから、植物とか花屋さんの例を出すと違いが分かりやすいけど、環境が同じような感じでも、気にかけられ方、愛情のかけられ方で大きな違いが出るのではないでしょうか。

ろ:
植物はちゃんと聞いてるから声をかけた方が良いみたいな話を母が言っていましたが、野菜のきらきらした感じは、愛されている自信なのかもしれないですね。

ず:
全く同じものでも、置かれている環境や扱い方一つで質が変わるのだとしたら、消費者側もそのレベルで考えられるような人がもっと増えた方が、全体的に変わるのかもしれないですね。

今はまだまだ「(薬剤を使わない)自然栽培だったらいい」というレベルで考えている人が多いように思いますが、扱われ方まで考えることはあまりないじゃないですか、特に消費者の目からすればそうだと思います。


生産者と消費者を繋ぐ商店の役目とは?



義:
生産者さんの想い、気持ち、そういったものもお野菜に入っていると思う。

やっぱり、日が経っても元気な子がいます。

私たちの仕事の一つは、作り手の想いを食べる人に伝えたいというのがある。(生産者と消費者の)中間にいるので。

いつも思うのは、作っている人も、我々のようにそれを伝える人も、食べる人も、みんなが気持ち良い状態になるのが理想
です。

ず:
このような考え方は、インターネットでただ買うだけでは、うまく伝わらないような気がします。

義:
スーパーでただ買うよりも、実物を自分で見られない分、難しい部分もあるかもしれません。

ず:
画面越しだと感覚的なものがシャットアウトされる部分があるのではないでしょうか。

義:
ダイレクトに伝えていくのが、私たちの仕事だと思っています。

消費者としてはできるだけ安い方がいいのだと思うけれど、やはり適正な価格というものがあると思う。

作っている人が苦労しているようなものは、とても多い。


これは野菜に限った話ではなくて。

僕は、その辺りを見直していかないといけないなと考えています。

インターネット通販だとどうしても値崩れしがちで、1円でも安い所から買おうと考えてしまう方が多いけど、それは少し悲しいことだと感じます。

ず:
確かに数字だけ見ていると、大事なものが抜けてしまうように思います。

作り手、生産者がいるという背景等がハッキリとは見えません。

最近は、生産者さんのエピソードを掲載して、そういった部分をフォローするような動きが定着しつつありますが、それでもフォローしきれない部分があるように思います。

生産者さんがいて、その想いを生で伝える人がいて、この生の情報の循環を大事にできればうれしいですね。

ず・ろ:
中間で扱っておられる方によって、少なからずお野菜の状態が変わるように思います。

生産者さんが大切に育てたとして、次のお店でどう変わるか、ということが野菜の変化に繋がっているのではないでしょうか。

瑠:
帰ってくるまでにいた職場は、野菜のプロと呼べるような方がおられた所で、今はタネカら商店という八百屋さんをやっておられます。

その人たちの考えは、それぞれに役割があり、農家さんには農業に集中してもらって、美味しさを伝えるのは伝えられるプロに伝えてもらって、僕たちは流通のプロとしてやっていると。

それぞれの役割をとても大事にされていました。

最近は、産直で農家さんが箱詰めして発送してみたいなのをネットでポチっとすれば簡単に買えますし、そういう事も増えています。

また、ファーマーズマーケットでも農家さんが出店してお店をしないといけないですよね。

それはそれでもちろん良い面もあります。

例えば、消費者の顔を直接見る事ができる、意見が聞ける、例えば…どんな野菜が求められているかなど、直接お話ができるというのは確かに利点もあるけれど、本当は、農家さんは畑に集中した方が良いお野菜ができるはず。



1日をマーケットに使えば、その時間は畑に時間がかけられないこともあります。


もちろん、上手くやっている所もあると思うけれど、農家さんが本業に専念できるように、間のプロとして「畑に買いに行ったぐらいの気持ちになれるように」運んでいる人達の元で、その仕事を見てきた影響が多少はあるかもしれません。

野菜への愛、農家さんへの寄り添い方が凄いと感じていました。

私は足元にも及ばないと思っているのですが、野菜への接し方のようなものは、その方々から教わったかもしれないです。

お野菜のポテンシャル、農家さんが作った本当においしい野菜っていうのは絶対的にあるけれど、その間に入っている者として、同じエネルギーのまま食卓まで運べているのだとしたら、すごく嬉しいです。

これは間で関わる人によって変わるのでしょうか。オーガニックショップに行ったときに、ちょっとお野菜がイキイキしていないように見えるお店とか、確かに感じることはあります。

私なら(お野菜を)こうやって並べてあげるかなとか、これは鮮度的に、違う上手な売り方があるんじゃないかな、等と考えることはあります。

私が学んだ方々は、「無農薬の大根」というのを売りたいのではなくて「○○さんが作った大根」というのを大切にされる方々。

産地の事や、農家さんがどういう思いで作っていてというのをしっかり受け止めていて、畑をからっぽにしたいと考えている。

単にいいとこどりして、「後は知らない、農家さんの生活がどうなってるかわかりません」というのではなくて、農家さんと一緒に歩んでいくという姿がいいなと思って、私はそれを理想にして触れ合っているつもりでいます。

(京都の)大原は農家さんの顔を見て直接買うことが出来るので、単純にお野菜などの品質の良さもそうだけど、付き合いというか、情が移ってくる部分もあって、応援したいというのもあって、そういう気持ちって、野菜に反映されるんですね。



ず:
私はドングリさんのお野菜でそれを初めて感じました。買い物がとても楽しいです。

最初は扱っているお野菜などの質かな、と思っていたのですが、通っている内にこれはどうもそうじゃないかもしれないと。

お店の扱い方、愛情のかけ方ではないかと。

こういう話、皆さん意識はしていなくても、うっすら感じておられる方も沢山いらっしゃると思います。

瑠:
野菜は日々変わっていくので、それも楽しいです。

今は、季節を感じることがとても減ってきています。

どんどん均一化されて、どこに行っても何でも売っているし、トマトとか年中買えますよね。

大原はハウスが建てられないので露地栽培がメインで、今はスナップエンドウしかありませんとか、菜の花しかありませんみたいな時期があります。

でも、それは農家さんとしては困っている部分でもあるそうです。

里の駅(産直市場)のラインナップとか朝市とか、幅・バリエーションでお客さまに満足してもらいたいというのはあるらしいのです。

ただ、私個人としては、それ(季節感)はとても素敵だなと思っています。

やはり、その旬の時期の野菜には元気があって栄養価も高くて、美味しくて、更にお安いです。

これは凄く理に適っているし、それならそれを食べた方がいいよねと。

見ていると移ろいも楽しくて、野菜に元気をもらっているという感じがします。

時期によって旬のお野菜も変わっていきますし、出会いと別れがあるから、名残惜しくなるというか。

最後には野菜の名残惜しみが出て、でもまた次の再会が嬉しくて、またこの時期が来たみたいな。

旬の時は飽きてきたなと感じるような時もありますが(笑)

でも、それも工夫して色々な料理にしてみたり、加工して暫く保存食にして楽しむとか。



これもやはり理に適っているなと思いますし、楽しいですね、野菜は。

もちろん加工品になっているものも好きだけれど、よりリズムがあっていいです。

ず:
昔は瑠美さんが言われるような、そのような考え方は普通だったのかなと思います。

ある特定の地域ではこれしか作れないみたいなものがあって、だからこそ保存食や加工食品も増えてきたのだと思います。

でも、今は(あらゆるものが均一化されて)その当たり前が当たり前じゃなくなっていて、旬といったものにピンとこない方も増えているように思います。

瑠:
旬と言えば、人参は貯蔵性が高いので年中あるように感じるけれど、たまに人参が途切れたときに「今人参がないんですよね」と言うと、「え、人参ってなくなることあるんですか?」と、うちのお客さんでもそういう事を言われます。

いや、あれは貯蔵品なので~となるのですが、人参・玉ねぎ・じゃがいもでも、新しくお店に来たものが欲しいという方がおられます。

そういう部分(貯蔵品に関する諸事情)も、もう少ししっかり伝えていければなと思います。

先日もあったのですが、「梅干しの賞味期限が長いやつが本当は買いたかった」という方がいらっしゃって、その時はうまく説明できなかったのですが、本当は期限が切れた後のような熟成したものの方が美味しいんですよ笑。

味噌とか醤油とか本来は期限って必要ないですよね。



きちんと熟成されたものは、本当はそうじゃない(消費期限があるようなものではない)と思うので、そういうことも伝えていけたらなと思っています。

皆さん、数字とか情報に惑わされています。


ず:
誤った知識というわけではないけれど、作られたものというか、現代のシステムに合わせて「こうだからこう」みたいな(システマティックな)感じになっていますよね。

瑠:
一つずつ向き合えば、絶対熟成した梅干しの方が美味しいはずなのですが。

それは、人に言われるよりも、自分の舌とか肌で分かるようになっていくのが一番良いと思います。

私の場合、東京でサラリーマンを辞めて、ご縁があって勤めたレストランで食べた野菜がパワフルでびっくりして、同じ野菜でもこんなに違うんだなと。

それを五感で感じたというか、知識ではなくて、本当に。

その後、後追いでどんどん知識が入ってきたので頭でっかちになってしまって「この基準じゃなきゃ」みたいな時期も一時期あったんですけど、今はそれぞれの農家さんによって哲学もあるし、その土地土地でのベストがあると思うので、あまり栽培方法とかだけに捉われすぎない方がいいかなとは思っています。

でも、無肥料栽培っていうのに本当に驚いて、肥料がなくてしかもこんなに美味しいのかみたいな、その時の感動は本当に目から鱗でした。

頭でっかちにはなりたくないけど、この感動を伝えていけたらいいなと思っています。

肥料がないとできないという固定概念等を変えられるような、自然の営みの中でできた作物はこんなにエネルギーが高いんだと思ったので、それは伝えていけたらなと思っています。

何より美味しいんですよね。しかもそれでいて造形が凄く綺麗なんですよ。

肥料を与えていないからゆっくりと育っていて…均一に育っているというか、断面とかがすごく綺麗で、小さいけれど、美しさにびっくりしました。


お豆とか、開けたときに実がびっしり詰まっていて。

最近は、栽培方法ではなくて、その子がその子らしく(無理なく)育ったかどうかを意識しています。

やっぱり、肥料などを過剰に投入して“より早くより大きくと”誰かの都合で無理させられた子って、少し病んでいるというか、病気っぽかったり、実入りがあまりなかったり、こっちは大きいけれど、こっちは全然ないとか、そういう感じがあります。

人間は寄り添ってちゃんと育てていて、ほったらかしではないけれど、経済の為とか、人間の都合のためではなくて、のんびりゆっくり育った人たちの美しさをみていると、この子は無理がなかったのかなとか、その子らしく生きていたのかなと感じます。

野菜を通して見えてきた、無個性人間の出荷の現状



ず:
最近、牛や鶏といった食肉にされる動物ではよくそういう話を聞きます。

話題になっていますが、こと野菜や植物の話になると、同じ話を途端に聞かなくなります。

これは何故だろうと改めて思いました。

瑠:
本当に同じような感じですよね。

人間もだし、いろんなものがそう。無理がないっていうのが大事なのかなと思います。

無理がなく育った野菜を見ていると、自分の生命を維持する力がすごく強くて。

以前、こちら側の環境が悪くて皮がカビだらけになってしまったレモンがあったのですが、皮を剝いたら中身が無茶苦茶キレイな状態だったんです。

何かしらの負荷がかかって、カビが生えてまわってしまう事はあるけれど、それでも中の種とか、生命維持力みたいなものは圧倒的に無肥料のものが強くて。

たまに極論で「腐らない」とも言う場合がありますが、そんなことはなく、やはり何かしらの条件で腐ることはあります。

だけど、その強さは感じます。とても面白いです。

ず:
瑠美さんは、とても感覚的な部分を大事にされているのかなと思います。

瑠:
父と母が自分らしく育ててくれました。

あれをしなさい、これをしなさいというのはあまりなくて、自分が自分らしくいられたから、そういうものが良いのかなと思うのかもしれません。

ず:
それがそのままお野菜に回ってきて、ということかもしれませんね。

瑠:
お客さまの2歳ぐらいのお子様のお話なのですが、小さい時って、例えば1歳で指差しができるとか発達の基準みたいなのが色々ありますよね。

その子は検診の時にまだ指差しが出来なかったみたいで、でも近所の子はできるみたいな。



それで、うちの子は成長が遅いのかもと相談をされていた時に、母にもその話をしました。

私の感覚では、ゆっくり育った野菜の方が良い野菜というものがあったので、野菜に関してはゆっくり育ったものの方が良いのに、なぜ人間は早く育つことを望まれるというか、勉強に関しても早くできるようになる子の方が優秀って思われるじゃないですかと母に話した所、そんなことはないよと言われました。

母が「ハイハイも長くした方が後々足腰が強くなるし、ゆっくり育った方が安定するというか、いいと思うよ」と言ったのを聞いて、「なんだ一緒なんだ」と思いました。

それをお客様に言ってあげたらすごく安心してくださって、しかも…少ししたらすぐ指差しできるようになったんですよ。

だから、人間が勝手に決めた基準と、その子のペースとかやりたいことは全然違うから、そんな小さい時から枠組みを決められて…

義:
恐ろしいね。

瑠:
そういうのもドングリで見ていると面白いんです。

お客さんが相談に来ていて、父や母が「これは焦らなくていいよ」とか、「大丈夫ですよ」って言っているのと、自分が見てきた野菜の知識とをすり合わせると、結局一緒というか、真理の根底の部分は一緒だから安心するというか、すごく勉強になります。

ろ:
私もおむつがとれるのが遅くて、でも、うちの父は「おむつしてお嫁には行かないから大丈夫だろ」って言ったんですよ。

ハイハイから立とうとしたら「まだ、立たせるな」って言われたこともあるみたいです。

瑠:
それもいいですね、普通は立ったって喜ぶのに。

やっぱり、ゆっくりというか、自分のペースで育つってすごく大事ですね。

義:
社会の都合の良いようにやらされてるというか。

ず:
どこかに出荷されてますよね。

瑠:
(人間も)色んな肥料と農薬を投入されて、社会に出荷されていく

野菜のこと等を調べていると、放射線照射して芽が出ないようにとか、F1の種でこのコンテナに入るように(サイズを調整して)キュウリを作るとか。



品種改良はサイズ感なども整えられるから、人間の都合の良いように流通できるように、沢山早く稼ぐためですよね。

昔の水菜はとても大きかったのに、そういう水菜がなくなってきました。

このような現状があるので現代の仕組みに反発した、昔ながらの良い野菜を作ってる人を応援したくなるというか。

夏野菜で“相模半白きゅうり”というのがあって、いぼの黒いものがあります。

これを袋に入れて冷蔵庫に入れておくと、シミみたいになってしまって、痛んではいないけど、痛んでいる様に見える。

そこでやっぱりそのイボをなくすとか、今は全部そういう品種改良だと思うんですよ。

きゅうりも折れにくいようにとか、収穫量を増やす為にカボチャに接ぎ木するとか、これもやっぱり流通の問題が大きいと思います。

みんなどんどん自分らしさ失っています。


ろ:
きゅうりのイボイボが刺さるのもなくなりましたよね。

瑠:
イボはなくなって、つるつるのきゅうりで折れにくくなりました。

カボチャに接ぎ木をしてるから、カボチャの風味がものによってはあったりします。

でも、本来のきゅうりはあんな感じではなくて。

ろ:
きゅうり臭さがなくなったのはカボチャのせいでしょうか?

瑠:
接ぎ木自体は栽培の工夫のひとつだと思いますが、流通に合わせてきた結果、「らしさ」が減っているというのは理由の一つにあるかもしれません。

個性をどんどんなくされて、均一化されて、便利にされて、人間と同じですね。

ず:
怖いですね、ぞっとします。

瑠:
私たちも、じゃがいもに放射線を当てているのと同じようなものですね。芽が出ないように。



義:
勝手なことをしないように。

ろ:
重金属を体内に沢山摂り入れると、特定の電磁波(周波数)で思考が阻害される話もありますね。

ず:
(脳を)コントロールしやすくなっていると言われますよね。思考の方向性が偏りやすくなるとか。

瑠:
サプリミナルみたいな話ですか?

ず:
その様な感じですが、もう少しディープな話かもしれません。物理的に脳の構造が変化していくので。

でも、マーケット、例えば百貨店等では音などを使って購買意欲など、人の心理状態をコントロールしている部分はありますよね。

お野菜の話を聞いて、似ているなと思いました。

瑠:
野菜もほとんどの人が知らないと思います。

目利きだと芽が出るやつの方がじゃがいもは生命力があって美味しいのですが、でもその芽が出ないようにしている。



これは本当に人間の都合で、でも忙しくなった社会の仕組みの中では仕方ないのかな。

おかしいなと私は思うのですが。芽はとったら食べられますし。

ず:
ある程度知っていたつもりですが、改めて驚きました。

例えば在来種とか固定種とか、最近ウリみたいになっている部分はあると思いますが、自分みたいな全く専門じゃない人間からすれば、在来種や固定種と言われるものの方が身体に良いだろうし、変な事をされていないから安全性も高いよね、という感じの認識でしたが、もう少し中身を掘り下げてみるとそういう話ですよね。

瑠:
私も在来種、固定種だけじゃ賄えないというのも、農家さん的にもF1を使った方が良い部分もあるし、それぞれで、絶対にF1がだめと言い切れない部分もあるなと思うけど、人間都合で変えてきたという話は、皆さんでしっかり吟味ができればと。

幸いここは幸せです。大原が近いからきゅうりも(流通の都合で)折れませんし笑。

やはり長い距離を沢山運ぼうと思うと、そういうこと(品種改良が必要)になるのでしょうか。

物流がダメとも言えないのですが、できるだけ近い所で応援している方から買うようにすれば、そういうものは減っていくのかなという気はします。

ただ、言葉だけが先行してしまって「在来種じゃなきゃダメ」みたいな人も出てくることがあるので、そうはならないように、穏やかにやっていけたらいいなと思います。

ず:
そういうのが変わっていくといいですね。

考え方として、「○○だから○○で良い」という枕詞的なものがついてくると、言葉だけが先行して、本当に大切なものが抜けやすいような気がします。

瑠:
その辺はあまり言いすぎず、見守る感じでいきたいですね(笑)

自然栽培の野菜に出会った時に、その出会わせてくれた方は

「自分の身体のためだけに自然栽培の野菜をとるのではなくて、地球環境や、農家さんや、色々な人の為にも負荷が少ない農法なので、そうやって地球全体が健全になれば、巡り巡って自分の身体も健全になる」

と言っておられました。



実は私はそれまで、「自分の身体から見て良いものを選ぼう」と考えていました。

勿論それも凄く良い考えだと思うのですが、確かに全体の健康についてもう少し考えてみた場合、(自然栽培の野菜に出会わせてくれた方が仰っておられたお話は)まわりまわって、最終的に自分も健康になるよねという、とても優しい発想だなと思いました。

改めてそう思ったら色々な事が変わるのかなと。

どうしても「あれじゃなきゃだめ、これじゃなきゃだめ」というのは、結局“自分の為に”という部分が強くなってしまった結果なのかなと感じました。

それぞれにペースがあるので、そういう段階があるのも良いかなと思うんですけど、でも、その言葉を聞いたときに、私は平和の鍵かなと大げさながら思ったんです。

本当に全体が健全になれるのかもしれないと。

ろ:
るみさんの愛で野菜がきらきらして、私たちも享受して、循環してます(笑)

瑠:
農家さんからのものが、ここで澱まずに流れていっているのなら良かったと。

ろ:
澱むどころか、新たなエネルギーが追加されているように思います(笑)

ず:
なんだか、(お話を聞いて)考え方や価値観が少し変わったような気がします。

瑠:
私たちも現代システムに助けられている事があるので、(現代のシステムを)否定できない部分もあるのですが。

顔を見て、お店に買いに来て下さるのは嬉しいです。


行く場所が今はないし。何気なく行っていた喫茶店とかが閉まっていたりして、居場所がない人がたくさんいる。

行くところがなくてうちに話に来てくれたみたいな人もいて、厳しい時代だなと思います。

商店としての役割はもちろん、もうちょっと顔を見て~という社会を戻せれば良いなと。

ず:
もともと(人同士の直接的な交流は)減っていましたけど、それをコロナが後押ししていて、寂しいものがあるというか、辛いですね。



瑠:
ぜひおいしい野菜を食べて元気人になってください(笑)

ず:
そういえば、コロナで緊急事態宣言が続いていますが、お店として変化はありますか?

瑠:1回目の緊急事態宣言の時に散歩ぐらいしかやることがないというような人がいて、こんな店あったんやって、入ってくれる人が増えたのはありがたかったです。

大型店は混みあっていて、行きたくないと思う人も多いみたいです。

うちみたいに、小周りで、短い時間で買い物ができるという感じが楽だと思っている人もいるんじゃないかなと思いました。

お店は時折混み合う時もあるけれど、比較的ゆっくり買ってもらえるのがいいのかなと思います。

ず:
なるほど、そういう事もあるのですね。

今回は貴重なお時間を頂きありがとうございました。

取材を終えて



今回は取材した内容を極力余すことなくお伝えしたいと思い、対談形式の記事にさせて頂きました。

読者の皆様には少々読み辛い部分もあったかと存じますが、本取材を通じて当方が感じたこと、話の中で出てきた様々な問題点等について、少しでも多くの方と共有できればと思っています。

今回お話に挙がった様々な内容について「既に知っているよ」と仰られる方も多いかもしれませんが、一方でまだまだご存じない方も多いのではないかと思います。

コロナ禍で様々な物事の本質が浮き彫りになりつつある昨今、この機会に改めて皆様に少しお考え頂ければと思い、本記事を寄稿させて頂くこととしました。


最後に、本記事を寄稿させて頂きましたINYOU様のリアルマーケットがこの9月、池袋に出店される事となりました。

本記事では「自然食品店」を一つのテーマとしておりましたが、一般的に呼ばれる所の「オーガニックストア/マーケット」等の中にも、今回ご紹介したドングリ様のようなお店は多いと思います。

昨今の「商店」はただ物を買うだけの場所として存在している所も多いように思いますが、人同士が寄り合えるような、一種のコミュニティとして機能している所も、まだまだ沢山存在しています。

個人間の距離が遠くなりつつある昨今、自然食品店やオーガニックストアといった、「身体をケアする為の商品や情報が集まっている場所」は一種のコミュニティとして機能性も高く、とても大きな役割を担う事ができるのではないかと、私は個人的に考えています。

これは勿論「そのような場所に皆さんが集まって会合をする」という意味で勧めている訳ではありません。

あくまでも、いざという時に人が寄り合える場所であり、頼りになるコミュニティ、人同士が連結しあうハブとしても機能するのではないかと言う事です。

本記事では京都の自然食品店を対象に取材させて頂きましたが、きっと皆さまがお住まいのエリアにも様々なお店があることと思います。

それぞれお店によって特色やスタンスは異なる事と存じますがこの機会にぜひ皆様も「推し自然食品店、オーガニックストア」などを作ってみてはいかがでしょうか。


今回は取材記事と言う事もあり、本文がとても長くなりましたが、最後までお読み頂き本当にありがとうございました。

また、取材に快くご協力頂きましたナチュラルフーズ・ドングリ様にも、重ねて御礼を申し上げます。

この度は本当にありがとうございました。


取材執筆/ZuYu
写真/赤塚瑠美様、ZuYu
取材協力/ナチュラルフーズ・ドングリ様
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