今日は。
意外と知らない「本質」の意味。「本質的な生き方」って一体何?私なりの「解」を導き出してみました。
こんにちは。
私たちIN YOUは今度3周年記念パーティーを行います。あと数席になってしまいました。
https://inyoumarket.com/shops/products/detail/554
そこで、新しいビジョンを皆様には、発表したいと考えています。
新しいビジョンについては下記をご覧ください。
● ビジョン:
私たちは、今を健やかに生きたいと願うすべての人々に対して、心身を整えるためのきっかけを提供し、オーガニックを通じて生き方の本質を発見していただくことで「人生を心から楽しめる世界」を創り続けます。
● ミッション:
私たちは違和感のない本質的な人生を送るための多種多様な情報を、全世界に向けて力強く発信し続け、人々が心と体を接続できる機会を提供し続けます。
● バリュー:
私たちは本質的な人生を生きるための多種多様なキッカケを提供することにより、本質的な生き方を見出した人が、その先の人々にも良い影響を与える循環の世界を創ります。
そして「愛の循環」を全世界的に起こせるような企業であり続けます。
スタッフたちにもこのことをお伝えしましたが、
中でも質問が多かった「本質な人生ってなんですか?」の質問に、今日はお答えしていきたいと思います。
本質的(essential)とは?
本質ってなに?と言われた時にパッと答えられる人ってあまりいないのではないでしょうか。
そこで今回、わかりやすいようにと、調べてみました。
欠くことのできない
必須の
非常に重要な
それなしには考えられないほど大事なさま
物事の本来の性質や姿
それなしにはその物が存在し得ない性質・要素
このように出てきます。
「物事の本質を考えろ!」などとはよく会議の場で言われるものですが、
これは、「それなしには考えられない重要な要素を考えろ!」という意味だったのですね・・
これだけだと、まだピンとこない人もいると思うので、もう少し深く考えてみたいと思います。
本質的な対義語は?
物事を考える時に、その意味がわからないと思ったら、
その対義語を考えると、もっとイメージが湧きやすくなります。
そこで今度は本質的の反対語を調べてみました。
末梢(まっしょう)的な、と出てきます。
まっしょうてきなという言葉はあまり日常会話では登場しないですよね。
意味を知らなかった人のために軽く触れておきます。
末梢的とはどういう意味なのでしょうか。
こんな意味があるそうです。
本質から外れているさま。
瑣末(さまつ)で取るに足りないさま。
物事の重要性が低いさま
重要でない
不要な
取るに足らない
ちまちまとした
本筋から外れた
重要度の低い
大切でない
どうでもいい
改めて意味を見ると、考えさせられますね。
とるに足らなかったり、
さほど重要ではないちまちまとした、どうでもいいことにとらわれて、日々を悶々と生きている
人々って、実際、現代人では少なくはないと思います。
例えば
・芸能人のゴシップ
・噂話
・他人の悪口
・罵り合い
・ネット上の悪口
・詐欺、騙し合い
・ネット上の貶しあい
・誰も喜ばないむしろ人を不幸にする仕事や会社
・親に言われたことだけをする生き方
・世間体を気にした、生き方
・中長期的ではない目先の利益
こんなことが、日本社会に、あふれています。
どうでもいいというか、許されないような行為も、あふれていますね・・。
あなたも日々、「末梢的なこと」にとらわれていませんか?
本質から外れていくとどうなるのか?
では本質から外れていくと、我々人間は、どうなってしまうのでしょうか。
重要なことを見落とす
重要ではないどうでもいいことにとらわれて生きていると、
当然ですが、もっとも注目すべき他の重要なことを見落とします。
とるに足らないことを優先したがゆえに、本来取り組まねばならない、もっとも重要なことを忘れてしまうのです。
これが致命的な結果に繋がると感じます。
例えば、目先の「美味しそう」だけを優先して、不健康なものを選び、健康を失うとかですね。
あるいは目先の利益にとらわれてしまい、大事な人間関係を失うとか。
どうでもいいことのために「あること」を犠牲にして、とても重要なテーマを後回しにしてしまうとか・・。
くだらないことを優先するようになる
くだらない時間を過ごす割合が多い人は、くだらない予定を優先することになります。
さしていきたくもない会合に顔を出したり、目先の人脈作りのために嫌々イベントに行ったり、したくもない仕事を嫌々したりだとかもそうですね。
こんなことをしているうちに、大切な時間を失って、重要なことを考えるための大切な時間にあてられなくなったりします。
一番大切なことを大切にできなくなる
さらに恐れるべきことは、
「一番大切にしたいと思っていた物事または人」を、失ってしまったり犠牲にすることではないでしょうか。
これは本当に致命的だと思います。
本質的とは、人に迷惑をかけたり、わがままに生きるという意味ではない
違和感なく本質的に生きると言うと、
何も考えていないと、「それってストレスがない生き方のことですか?」とか、
「ブラブラと好きなことをして、南の島で遊び呆けることですか?」
などと思う人が出てくると思います。
これは正解でもあり、不正解でもあります。
例えば、あらゆる項目の中で
「自由に生き、いかなるストレスも受けずに、働かずに、生きること」
がその人にとっての最重要項目なのであれば
南の島で遊び呆けることが、本質的な生き方なのかもしれません。
ただし、そのような生き方をして本当に幸せかどうかは、してみて、はじめてわかると思いますが・・。
私にとってそれほど上記のような生き方を本質的であるとは思いません。
本質的な生き方とは?
以上のことを踏まえて本質的な生き方とは一体どういう意味なのでしょうか。
超シンプル・単刀直入に考えてみました。
本質的な生き方とは、
とるに足らないどうでもいいことから、足を洗い、
それなしには考えられないほど、「重要なテーマ」に取り組む生き方
と言えるのではないでしょうか。
私にとっての本質とは?
私にとっての本質とは何かを考えてみました。
私にとっての本質は、一言で述べると、
この世に生まれた意味と使命を考え、実行し
愛と歓びに包まれた健やかな人生をまっとうすること
であると考えました。
私にとってのこの世に生まれた意味や使命は、
現時点では自然からのギフト=オーガニックを通じて一人でも多くの人に気づきを与え、幸せの循環を作ること。
です。
これが私にとっての、「仕事」です。
また、健康ではなくては仕事も使命も果たせない上に、誰とも愛や喜びを分かち合えません。
ですので、健康であることも私にとっては非常に大事なテーマです。
なので、健康とオーガニック食品にはお金のことを考えずに、できるだけ、投資をしています。
そして、人生の多くを費やす仕事が「末梢的な仕事」ではなく、より「本質的な仕事」であるということはもっとも重要ではないかと思います。
さらに、もちろん私も、人間として生まれたので、苦痛や悲しみではなく、愛や歓びも堪能したいと考えます。
大切な人々と、愛や歓びを分かち合うことが、私にとっての本質的な生きがいであります。
最近友人と会った時に、「誰しも苦痛を味わうために生きているわけではない」と言う話をしていました。
そう、私たちは、全員、平等に愛や歓び、幸せといったものを存分に味わう権利が与えらえて生まれてきています。
苦しく嫌なこと、辛いこと、悲しいことばかりの人生を生きる必要は、ないのです。
本質とオーガニックとの関係性
オーガニックを直訳すると実は「本質的」という意味も出てきます。
しかしそれだけでなく、
主要な意味としては下記のような意味を持っています。
有機体のように多くの部分が集まって一つの全体を構成し、その各部分が密接に結びついて互いに影響を及ぼし合っているさま。
自然や、鳥などの生き物、動植物、人間はお互いが密接に関係しあい、生命が誕生し、そしてお互いに影響を及ぼしあっていますよね。
自然そのものが、まさに有機、オーガニックであると言えるでしょう。
さらにいうと、植物だけでなく、人間でさえも、まさに「有機的な存在」であると言えます。
(人間が自然を支配したり守ったりしているように思う人もいますが、そうではありません。本来、人間も自然の一部であるはずなのです。)
反対語である「無機的」とは、
生命の感じられないさまという意味であり、つまり「人工的なもの」や、生き生きとしていないものを指します。
人情や情緒など、感情的なものがないさま。
生命的な温かみがなく、単調で冷たい感じを与えるさま。
とも出てきます。
人情に欠ける
単調で冷たい
人工的な
食品でいうと、
それこそ大量な農薬や、食品添加物とかを思い浮かべてしまう人もいたかもしれませんね・・・。
話は戻りますが、オーガニックと本質とは、完全なイコールではないのですが、
私個人としては、本質の中にオーガニックが含まれるという解釈をしています。
つまり限りなくイコールに近いということです。
お礼や感謝の言葉を言い忘れている人はいませんか?
自分を大切にできない人が、他人を大切にできるとは思わないので、
私個人としては、他人のことだけでなく、まず、自分の身を守れるようになってほしいと、望みます。
しかし本質的かつ、有機的な生き方を望む場合、多くの人は他者との共有や歓び、そして関係性も、少なからず望むと思います。
私にも大切な人たちはもちろん、います。
ちなみにかつて私は、大切な物事を見落とした選択をし、重大なミスを犯しそうになりました。
具体的には、どうでもいい世間体を優先しようとしてしまい、本当に大事な人、そして物事を失いそうになっていたのです。
しかし、ある日、私にとっての「本質」に、ある出来事によって気づかされました。
その時は、雷にうたれたようなインパクトがあり、私の人生に大きな影響を及ぼしました。
そして、今ではその時に誓ったことを思い出し、ほぼ迷いのない日々を送ることができるようになりました。
今、思えばあの時、本当に重要なものを失っていたかもしれないと思うと恐ろしいものです。
とんでもない浅はかな選択を、本質的な人生を知らない人は、いとも簡単にするものなのだなとも、思います。
今では、迷った時にも、何を優先すべきか、何を大事にしたいのかが私の中でとても明白なので、
自信を持って大事な要素を優先することができるようになりました。
あなたが本当に大切にしたい人は誰ですか?
あなたが本当に大切にしたいテーマはなんですか・・?
お礼、感謝の気持ちを、言い忘れた人はいませんか・・?
または、愛を伝え忘れている人はいませんか・・?
今日が「自分の最期の日」でも悔いのない選択肢を
自分にとっての本質は、伝えた通り、人それぞれ違うかもしれません。
前提としてIN YOUが掲げた理念は私個人の考えを押し付けるためのものでは、ありません。
むしろ小説と同じで、掲げている理念を、ステークホルダー(社員、顧客、クライアント、外部パートナー)達が、想像しながら、読んでほしいと思っています。
その上で、自分の「本質的な生き方」の意味をそれぞれで、時間のある時に、考えてほしいと思っています。
ですので、あえて本質的な生き方の定義を、私はしていないのです。
また、私にとっての本質は先ほども伝えた通り、
この世に生まれた意味と使命を考え、実行し
愛と歓びに包まれた健やかな人生をまっとうすること
だと考えているので、
なるべくこれに反したことをせぬよう、気を配っています。
どうせなら楽しく働きたいと考えているので、基本的には気乗りしないプロジェクトは断ります。
本当にやりたいと思えることしか、やっていません。
人生は短く感じるが、長いものであり、長く感じるが短いものでもあります。
半永久的に続いてゆくもののように感じますが、決して、そんなことはありません。
いつ終わるかわからない人生。
たとえ今日が、自分の最期の日であっても、悔いのない本質的な選択を繰り返したいものです。
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