あなたはすでに全て持っている。「頼ること」と「依存すること」の大きな違い
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お久しぶりです。
ここのところ色んな変化、いえ、ムーブメント?があり、またまた更新が滞っておりました。
毎日変化があることはとても面白いことですよね。
新しいものが大好きで、究極に飽きっぽい私ですが、
毎日あまりにも変化に富んでいるため、また、大小問わず色々な事件が起こるため、
絶対に飽きることのない仕事が今のお仕事です。
Editorの仕事はルーティンなんじゃない?と思われるかもしれませんが、
私は編集以外にもあらゆることをやっているので、ルーティン化したことはほとんどありません。
だからこそ、毎日が本当に新鮮で、楽しく感じます。
大好物の食べ物、飲み物、また、頼れる人・・・
人には心のよりどころがいくつかあると思います。
でも、いつしかその「心のよりどころ」が「依存」に変化してしまうことも、あるのではないでしょうか。
この人が何とかしてくれるかもしれない
優しく頼もしい人がいると、ついつい、そう思いたくなる時がありませんか?
他人任せというか。。
もちろん存分に、適時有能者に頼ることはよいことです。
協力してもらって、サポートし合って色々なことが成り立っていきますし、
自分も相手を助けてあげることは素晴らしいことです。
困ったことがあれば真っ先に誰かに頼ること自体は、間違いではないと個人的に思います。
けれどもここで注意しなくてはならないことがあります。
頼るというのは、あくまで自分の軸や強い芯があって、その上で少し足らない部分をサポートしてもらったり、
それがないと成り立たないのが依存です。
全く自分に軸がない状態で誰かにのしかかっているのをイメージしてみてください。
ある存在に甘えてしまうとその存在が、当たり前になります。
そして、いつしかどんどん、「依存に近い関係性」になってきます。
そうするとどうなるか。
「自分では何もできない」
「自分の力を信じられない」
等、本来あるはずの自分のパワーを存分に発揮することができなくなってきます。
つまり自分を信じられなくなります。
しまいに
「自分なんてこんなもんだ」
「自分の能力は低い」
「この人がいないと◎◎できない」
甘えが出てきて、最も信頼すべき自分すらも卑下してしまう可能性もあります。
これは残念なことです。
甘いもの、お酒、カフェイン、ゲーム、人間、薬物等
あらゆる誘惑、あらゆる依存があるでしょう。
何かにつけ、依存したくなるのは、私たち人間のサガ。
しっかり自分をもって依存せずに上手く成功している人たちと
依存してボロボロになっている人たちは一体何が違うのでしょう。
ところで、以前
最初はどういう意味なのかさっぱりわかりませんでしたが・・どういうことなのかわかりつつあります。
問題にぶつかると恐らく人は、このように頭を悩ませます。
そして頭の中でこう思います。
「もっと◎◎だったらいいのに」
「あの人はもっとこうしてくれたらいいのに」
「なぜ思い通りにならないのだ!」等等。
現状への不満が真っ先に思い浮かびます。
他者と比べて落胆したりもします。
でも本当にそうでしょうか。
現状でできることはすべてやっているのでしょうか?
現状で出来ることを100%していないのに出来ないと決め付ける。
まだほとんど頑張ってもいないのに、
「できない」
「もっと◎◎があればいいのに」などと不平不満を言う。
とても浅はかな言動・思考です。
大事なのは依存できる対象を見つけ出すことではありません。
人をうらやましがることでもない。
やる前に「できない」と決めつけることでもない。
自分の能力と可能性を100%信じる。
出来ることをすべてすること。
目の前のことに対してしっかりやりきる。
当たり前だけど忘れがちなこと。ないものねだりは簡単。
信頼すべき自分の力を信じて、能力を開花させることができたら
知らなかった素晴らしい世界と出会うことができるかもしれません。
ここのところ色んな変化、いえ、ムーブメント?があり、またまた更新が滞っておりました。
毎日変化があることはとても面白いことですよね。
新しいものが大好きで、究極に飽きっぽい私ですが、
毎日あまりにも変化に富んでいるため、また、大小問わず色々な事件が起こるため、
絶対に飽きることのない仕事が今のお仕事です。
Editorの仕事はルーティンなんじゃない?と思われるかもしれませんが、
私は編集以外にもあらゆることをやっているので、ルーティン化したことはほとんどありません。
だからこそ、毎日が本当に新鮮で、楽しく感じます。
さて、今日は「頼ること」と「依存すること」の大きな違いについて考えてみたいと思います。
大好物の食べ物、飲み物、また、頼れる人・・・
人には心のよりどころがいくつかあると思います。
でも、いつしかその「心のよりどころ」が「依存」に変化してしまうことも、あるのではないでしょうか。
例えば人間。
この人がいれば何とかなるかもこの人が何とかしてくれるかもしれない
優しく頼もしい人がいると、ついつい、そう思いたくなる時がありませんか?
他人任せというか。。
もちろん存分に、適時有能者に頼ることはよいことです。
協力してもらって、サポートし合って色々なことが成り立っていきますし、
自分も相手を助けてあげることは素晴らしいことです。
困ったことがあれば真っ先に誰かに頼ること自体は、間違いではないと個人的に思います。
けれどもここで注意しなくてはならないことがあります。
それは頼るのと依存を取り違えてはいけない、ということです。
頼るというのは、あくまで自分の軸や強い芯があって、その上で少し足らない部分をサポートしてもらったり、
助けてもらったり、協力を依頼する立場というイメージになります。
しかし依存は違います。
依存は、相手ありきなんです。
相手がいないと、できないんです。
相手がいないと動かない。
それがないと成り立たないのが依存です。
全く自分に軸がない状態で誰かにのしかかっているのをイメージしてみてください。
ある存在に甘えてしまうとその存在が、当たり前になります。
そして、いつしかどんどん、「依存に近い関係性」になってきます。
そうするとどうなるか。
「自分では何もできない」
「自分の力を信じられない」
等、本来あるはずの自分のパワーを存分に発揮することができなくなってきます。
つまり自分を信じられなくなります。
しまいに
「自分なんてこんなもんだ」
「自分の能力は低い」
「この人がいないと◎◎できない」
甘えが出てきて、最も信頼すべき自分すらも卑下してしまう可能性もあります。
これは残念なことです。
人間は弱い。だからこそ何かに依存したくなる。
甘いもの、お酒、カフェイン、ゲーム、人間、薬物等
あらゆる誘惑、あらゆる依存があるでしょう。
何かにつけ、依存したくなるのは、私たち人間のサガ。
しっかり自分をもって依存せずに上手く成功している人たちと
依存してボロボロになっている人たちは一体何が違うのでしょう。
ところで、以前
あなたは、すべて持っている
という言葉をある大切な方からいただきました。最初はどういう意味なのかさっぱりわかりませんでしたが・・どういうことなのかわかりつつあります。
問題にぶつかると恐らく人は、このように頭を悩ませます。
そして頭の中でこう思います。
「もっと◎◎だったらいいのに」
「あの人はもっとこうしてくれたらいいのに」
「なぜ思い通りにならないのだ!」等等。
現状への不満が真っ先に思い浮かびます。
他者と比べて落胆したりもします。
でも本当にそうでしょうか。
現状でできることはすべてやっているのでしょうか?
現状で出来ることを100%していないのに出来ないと決め付ける。
まだほとんど頑張ってもいないのに、
「できない」
「もっと◎◎があればいいのに」などと不平不満を言う。
とても浅はかな言動・思考です。
大事なのは依存できる対象を見つけ出すことではありません。
人をうらやましがることでもない。
やる前に「できない」と決めつけることでもない。
大事なのは「自分自身」を信頼し、信じることです。
自分の能力と可能性を100%信じる。
出来ることをすべてすること。
目の前のことに対してしっかりやりきる。
当たり前だけど忘れがちなこと。ないものねだりは簡単。
信頼すべき自分の力を信じて、能力を開花させることができたら
知らなかった素晴らしい世界と出会うことができるかもしれません。
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