大正7年生まれ、御年98歳の長寿おばあちゃんに長生きの秘訣と、昔の生活についてインタビュー!毎日何を食べていた?生理の時はどうしてた?
昔の日本人の生活って実のところどうだったの?
昔は生理用ナプキンがなかったから経血コントロールをしてトイレで経血を出していた昔の日本の食卓は玄米菜食、一汁一菜
そんな話をよく耳にしますよね。
噂レベルでしか昔のことを知らない私たち。
しかしそういった情報のほとんどは噂レベルの話であり、どこまで本当なのかはわかりません。大きな出来事は歴史として記録されていますが、日常生活のこととなると意外と情報が残っていない。
写真も今ほど撮らなかったので尚更。
そうなると、実際にその時代を生きた人に証言してもらうしかないのです。
大正7年生まれ、御年98歳のおばあちゃんに昔の話を聞いてきました。
昔の生活について生の声を聞きたい、ということで、我が一族の長老である御年98歳(数えで100歳!)のおばあちゃんにたっぷり話を聞いてきました!
大正7年というとピンと来ない人が多いかもしれませんが西暦にすると1918年。
第一次世界大戦が終結した年です。
現在のパイロット、パナソニック、象印マホービンなど有名メーカーや東京女子大学の設立、米騒動やスペインかぜ(インフルエンザ)の流行など大きな出来事もたくさんありました。
故・塩月弥栄子氏、故・田中角栄元総理、中曽根康弘元総理(ご存命!)、故・いわさきちひろ氏などもこの年に生まれています。
今回話を聞かせてくれたおばあちゃんはこんな人。
今回貴重な話を聞かせてくれたのは、我が一族の長老である98歳のおばあちゃん。大正7年(1918年)、愛知県名古屋市の裕福な家庭に5人姉妹の長女として生まれました。
100歳近いお年寄りというと落ち着いてしまうのか物静かで口数が少なくなる方が多い印象ですが、
このおばあちゃんはいつも元気いっぱい!
ハリのある声で2時間半喋り続けてくれました。
なお、今回ご紹介する内容はあくまでも一例であり、すべての人に当てはまったわけではありません。
特に昔は地域や家族構成、経済力などで人々の生活も大きく異なったため、その点ご理解いただいた上でお読みいただけると嬉しいです!
食生活について
出典:https://www.mylohas.net
みなさんが一番気になるであろう食生活。
粗食?玄米?一汁一菜?
ほんとのところを聞いてきました。
食事は一日何食食べてたの?どんなものを食べていた?
一日三食食べてたよ。菜っぱなど野菜のおかずが中心で基本的に一汁一菜だったね。
朝のおかずはおひたしや煮物、煮豆、小魚のつくだになど。
昼はお茶漬けと漬物、めざしなど。
夜は油を使って炒め物をしたり、すき焼き、煮込みうどんなど。
ご飯は玄米を食べてたの?
白米を食べてたねぇ。玄米はうまく炊けなくてパサパサするから。
白米の方がもちもちしておいしい。
昔と今とで野菜など食材の味は変わった?
変わらないねぇ。今も昔も同じ味。おばあちゃんは四つ足の動物を食べないけど、何か理由があるの?
(昔、女性は四つ足の動物を食べると血液が汚れると言い食べない人もいたという噂あり)
小学校3年生の冬に家ですき焼きをした時、最後に〆の雑炊をしたんだけど、それが冷めて牛脂が固まったのを見てから食べられなくなったんだよ。
※乳製品も四つ足の動物の乳でできているから食べないそうです。
昔は四つ足の動物を食べない人は多かったの?
そんなことないね。昔は動物性食品は祝い事など特別な時しか食べなかったというのは本当?
そんなことないね。普段から食べてたよ。好きな食べ物は?
野菜全般、果物全般、魚、貝、海藻。
子どもの頃はおやつに何を食べてたの?
学校から帰ったらおこづかいをもらって駄菓子屋さんに行ってお好み焼きを食べてたよ。ネギと天かすだけのお好み焼きは1銭、それにえびせんを足したのは2銭。
あと花型の寒天もあったね。
色(赤・緑・黄)がついていて甘かったよ。
出産・子育てのこと
昔は家で出産していたと聞きますが、どんな様子だったのでしょう。
また、母乳が出ない時のミルクや離乳食はどうしていたのでしょうか?
おばあちゃんや妹さんたちは家で生まれたの?
あの頃(大正時代〜昭和初期)はみんな家で生まれたよ。すごい大金持ちじゃないと病院で出産なんてできなかったからね。
病院で産んでたのは10人に1人ぐらいじゃないかな?
子どもを産む時は胎盤が出てきたりしてふとんが汚れるから、ふとんに焼いた藁(やわらかい)を敷いてその上で産んでいたの。
赤ちゃんは出てきたらそのまま産婆さんが受け取ってくれたよ。
へその緒は生まれたら木綿糸で縛ってから切って、1週間ぐらいすると自然とおへそから取れたね。
大正時代〜昭和初期は母乳が出ない時はどうしてたの?
粉ミルクはなかったからもらい乳。妹(昭和2年生まれ)は牛乳で育ったよ。
おばあちゃん自身が子どもを産んだ時(昭和17年〜)も家で産んだの?
3人とも家で産んだよ。(この頃もまだ病院で産めるのはお金持ちのみ)
難産の人はどうしてたの?会陰切開や吸引などの処置はあった?
そういう処置はなかったねぇ。帝王切開も戦後だしね。
そもそも昔は難産の人なんてめったにいなかったよ。
子どもは母乳で育てたの?母乳が出ない時は何を飲ませてた?
2人目と3人目は母乳で育てたよ。1人目の時(昭和17年)は出なかったからもらい乳と、米を洗って干してうすで挽いてぬるま湯で溶かしたものを飲ませたよ。
粉ミルクはあったけどお金持ちしか買えなかったからねぇ。
離乳食はどんなものを食べさせてたの?
大人のごはんを噛んで与えるだけ。特別離乳食を作ることはしなかったねぇ。
作るとしてもおかゆぐらいだったな。
赤ちゃんは布おむつをしていたの?布おむつはどうやって洗った?
古い浴衣を縫って布おむつを作ったよ。洗う時はおむつ専用のたらいに入れて、水を流しっぱなしにしてふり洗い。
石けんを使うと赤ちゃんのおしりがただれるから水だけで洗ったよ。
健康管理・その他
98歳の今も元気で過ごせるのは、子どもの頃の生活習慣も関係しているのでしょうか?子どもの頃、風邪を引いた時はどんなお手当てをしていたの?
救命丸という薬を飲んだよ。よほどひどければ薬局で調剤してもらったり、お医者さんに行ったり。
そもそも昔の子は母乳で免疫ができてたから今の子ほど風邪を引かなかったね。
子どもの頃は和服を着てたの?それとも洋服?
小さい時は和服を着てたけど、小学校4年生の時に洋服が流行り出してねぇ。10〜12歳くらいは冬は和服、夏は洋服を着てたよ。
洋服を毎日着るようになったのは12歳ぐらいからかな。
初潮は何歳の時にきたの?
17歳の時、1週間ぐらい下腹が痛くてその後生理が始まったよ。初潮は早い人は11〜12歳、平均は14〜15歳ぐらいだったね。
生理の時はお腹が痛くなったりした?
いつも下腹が痛くて生理不順だったよ。生理の時は何を使ってたの?
経血コントロールはしてた?
脱脂綿を当てていたよ。便所で出すということはしてなかったね。
美肌の秘訣は?
若い頃から毎日クレンジングクリームで顔と首をマッサージしてたよ。糠を使うこともあったね。
※なんと昨年まで毎日顔と首のマッサージは欠かさなかったというから驚きです!
女子力などという言葉では表しきれないほどの高い美意識。
今でもシミもほとんどないとってもきれいなお肌をしています。
ズボラな私も見習わねば・・・。
ストレスを溜めずに楽しく生きるコツは何だと思う?
歌を歌うこと。歌うのは昔の流行歌や童謡、一番好きなのは軍歌だね。
元気で長生きする秘訣は?
わからん、考えたこともない(笑)。若い頃に実家の商売の手伝いで名古屋中を自転車で得意先回りしてたから体が鍛えられたのかな?
あとは魚・野菜・果物を毎日たくさん食べること。
※このおばあちゃんは若い人よりも食欲旺盛で、
4年ほど前に外食した時は私と同じ天丼と味噌煮込みうどんのセットを食べ、さらに家に帰ってからお菓子を食べてました(笑)。
私にもお菓子をくれましたが満腹だったので食べられず・・・。
少食が長生きとは限らないんだなとつくづく思います(笑)。
昔と今、全体的にはどちらの方が良い時代だと思う?
昔の方が良かった。
今の人は金遣いが荒いし礼儀がない。
親を大事にしない。
親を殺す人も昔より多い。
大正時代〜戦前が一番良かったね。
給料は安かったけど物価も安く、人々も皆礼儀正しく義理人情が厚かった。
今の人は挨拶もしないし人の気持ちがわからない。
今は何もかもむちゃくちゃ。
昔の話を聞いて思ったこと。
いかがでしたか?
意外と今と変わらないこともあれば、まるっきり違うこともあったようですね。
個人的に一番感じたのが、
今は昔と比べてはるかに選択肢が多い
ということ。
昔は家庭の経済状態により買える物・受けられるサービスが限られていました。
貧富の差が激しかったのももちろんですが、価格の差も大きかったのではないでしょうか。
今でも高価な選択肢・安価な選択肢は存在しますが、昔のように「大金持ちでないと買えない」というものはそれほどありません。
また、情報や流通の発達により、昔は手に入れられなかった遠く離れた土地のものも簡単に購入できるようになりました。
今あるものに感謝して暮らそう。
戦前は今とは比べ物にならないほど農薬や食品添加物も少なく、より自然に近いものを食べていたはず。便利な機械も少なかったので運動量も多かったでしょう。
体のためを思うと当時の生活は理に適っていましたね。
しかし今では貧富の差も小さくなり、選択肢も大幅に増えました。
昔は自然な食べ物があってよかったなぁと思うのも事実ですが、それ以上に今享受できるものに感謝して過ごしていきたいものです。
私から見たおばあちゃんの元気の秘訣。
自然な食べ物を食べ、運動量の多かった時代を生きてきたことはもちろんですが、私個人から見てこのおばあちゃんが元気でいられるのはやはり明るくポジティブに、いつも周りに感謝をしている
からだと思います。
(画像はイメージです)
出典:http://static.pinky-media.jp
ストレスが健康に悪いというのは再三お伝えしていますが、
暗い表情やネガティブな感情・言動は自分自身のみならず周りの人の健康状態にも悪影響を与えかねません。
おばあちゃんはいつもみんなに「ありがとう」と笑顔で言う姿が印象的。
欲しい物がある時や誰かの助けがいる時は素直にお願いし、感謝の気持ちはしっかり伝える。
自分自身もみんなが喜ぶであろうことを進んで行う。
うれしい気持ちを表現するのも上手なので、シャイな多くの日本人は是非見習いたいところ(笑)。
私がこの話を聞きに訪ねた時も「会えてうれしい〜!」と満面の笑みで迎えてくれ、さらに「あんたの記事毎日読んでるよ!」と言ってくれてそれだけでもう満足しちゃいました(笑)。
(IN YOU読者の中では最高齢かも!?)
日本人はポジティブな感情を表現するのも遠慮してしまうことが多いですが、ポジティブな言葉や笑顔はどんどん振りまきましょう。
周りも影響されて明るい気持ちになりますよ。
気持ちが明るくなれば、体の健康にもつながります。
おじいちゃんおばあちゃんが元気なうちにたくさん話を聞こう。
(画像はイメージです)
出典:https://ovo.kyodo.co.jp
私が今回おばあちゃんのインタビュー記事を書いたきっかけは単純に昔のことを知りたかったのもありますが、
ある時ふと「そういえばもう身内には明治生まれがいない・・・」というのに気付いたからです。
現在30歳の私が子どもの頃は明治生まれの人なんて珍しくありませんでした。
私が6歳の時、100歳の双子・きんさんぎんさんが大人気となりましたが、
その当時、明治最後の年である明治45年生まれの人はまだ80歳。
うちの家系だけを見渡しても明治生まれのおじいちゃん、おばあちゃんは何人もいました。
しかし気付いたら明治45年生まれの人も既に104歳、身近には一人もおらず。
どんなに調べてもわからないことがある。
人間の生の声は最大の情報源。
明治生まれの人の話は聞けなかったけど、大正・昭和生まれの人たちからは是非昔の話を聞いておきたい、そう思い今回のインタビュー記事執筆に至りました。
昔の生活習慣の中には今の時代でも取り入れられること、参考になることもたくさん。
楽しく健康に生きるためのヒントをもらいました。
今回話を聞かせてくれたおばあちゃんには多大なる感謝と共に、是非これからもずっと元気で長寿日本一を目指してほしいと思います!
多くの人はおじいちゃんおばあちゃんを元気づけるために会いに行ってあげる、という感じだと思いますが、私は逆にいつも元気づけられています(笑)。
話も面白いので自分が楽しむために会いに行ってしまう・・・
私もこんなエネルギッシュなおばあちゃんを目指します!
みなさんも次のお休みにはおじいちゃんおばあちゃんに会いに行って色々な話を聞いてみてはいかがでしょうか?
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