Hi,元気?
これからは”体の健康”に加え”心の健康”が重要な時代になる。心にジョーロで美味しい水を注ぐ方法とは?
本物のオーガニックが見つかるオーガニックショップ
この前ブログを更新してから約1ヶ月半が経過しました。
にしても、今年は本当に時間が過ぎるのが早いですね。きっとこれはコロナウイルスの影響が大きいのでしょう。
さて、この文章を書くのは少し勇気がいりました。
というのも、心の内を開けっぴろげに話すかのような内容も含むものだからです。
しかしこの時代、「本質的な言葉」からしか、何も伝わらないと思ったので、あえてあまり飾り立てずに今日は内観しながら、お話ししたいと思います。
私自身については、前回のブログでもお伝えした通り、自分の中での「人生における優先順位」というものがコロナ渦中に明確になってからは、
大変なことがあれど、心身のバランスは比較的整っているなあ、と感じていています。
自粛要請がかかった4連休の始まりの今。
普段できていなかった”ブログ更新”という超後回しになっていた
(”タスク”ではなく)”やりたいこと”に、ようやく手をつけたいなあ、と思えるようにまでなりました。
これは私の中で立派な前進です。
恥ずかしながら、自粛期間中すら、ほとんど自分と向き合う暇もなかったのですが、(あ、瞑想だけはやっていたかな)
ようやく何とか自分の中で「ここまで頑張れば、おそらく大丈夫かなあ」という1つのラインや、「上手に心を休ませるコツ」を、覚え始めた気がします。
発信を随分おざなりにしてきたここ半年から一年。その理由。
ところで、私にとって自分の言葉による発信は、(ブログや記事など)創業時以前から、とても”軸”と呼べるほどに、大事で必要不可欠なものでした。
それと共に、「私の言葉」を文章で発信する行為や、ひたすら話し続けることっていうのは、
ある意味、私にとってはとても得意なことでもあり、何も考えなくても簡単にできてしまうくらいの、好きなジャンルのことでもありました。
話すよりどちらかというと、文章の方が好きですけれどね。
私の言葉による発信自体が、お金になるかはさておき、好きかどうかという意味では確実に、好きなジャンルなのです。
しかしながら、この一年、正直なところ、自分からの発信という要素を、とってもおざなりにしてきたなあ・・と我ながら、思っています。
とはいえ私を知っている、他の人から見たら「ユーチューブも、インスタもそれなりに更新しているじゃん!発信しているじゃない!」と思われると思いますし、確かに一般人から見ると随分発信している人間のタイプだとは思いますが、”プロのブロガー”や”ユーチューバー”などある意味、発信のプロとして考えると、明らかに発信の数が落ちていたのは事実です。
自分が発信することを軽く見て、内心バカにしていたのかもしれない
「なぜなのだろう」と思ったのですが、おそらく発信の全てが、”好きなこと”から、”何かの目的”や”義務”になってしまったのが原因だと考えます。
自分の中でいつのまにか、仕事における責任、組織を運営する立場としての責任が増えるにつれて
”発信すること自体が、優先度の非常に非常に低い一つの単なる仕事感覚になっていたのではないか”ということです。
さらに、半年から1年では、ここ数年間以上に、
目の前の事(かつ外からはあまり見えない水面下のお仕事。)に追われすぎていたのも、大きな理由だと思います。
だからこそ、仕事の案件が入れば入るほど、ブログを書いたり、何かコンテンツを配信したりすることを全て、後回しにし諦めていたのでしょう。
誤解を恐れずにいうと、潜在的な意識と姿勢の中で、”自分が発信する事に対して随分軽く見て、バカにしていたのだなあ”という風にも、思っています。
「発信なんてしても、意味ないんじゃない」「もっと意味がある優先順位の高い仕事をやったほうがいいんじゃない?」ってね。
けれども、発信、特に自分の言葉による発信って「自分の分身」だと思うのです。
発信の優先度を最低にし、潜在的にバカにするという行為は、悪く言えば、これって自分のことをバカにしていることに、他ならないと私は思うのです。
もしかすると、私は内心ずっと、自分をバカにしてきたのかもしれない。
なんてことでしょう。
オーガニックメディアを立ち上げておいて、発信を何よりも大事にしてきた張本人が言うことか!と強く皆様にお叱りを受けてしまうかもしれないですね。
逆に言うと「目の前の地味なことにこれほどフォーカスして、自分とそして、IN YOUというこの組織に、
そして、”何か見えないもの”とたとえ、大変であろうが辛かろうが、構わずに止まらず、ずっと闘い続けてきた」ことは、
もしかすると、自らの人生で初めての体験なのではないか、と感じています。
けれどもそれが、不本意ながら、「発信から遠ざかる結果」になってしまった・・。
目の前のことに、ただひたすら集中することによるメリットとデメリット
目の前のことに集中していると、その時はほとんど余計なことも考えなくていいですし、雑念が紛れるというメリットもあります。
私がかつて、仕事に本格的にフォーカスしたいと思った理由の一つに、無我夢中に、集中できるものを見つけたいからという理由がありました。
もちろん今はもっと大きく明確な目標やビジョンを持って仕事をしています。あくまで創業当時の話です。
集中できるものを見つけると、誰しも、なんだか”生きている意味”を見出せたり、
目の前のことに集中さえしていれば、感情の起伏や、一人になった時に訪れる孤独感や、悲しさ、そして怒りまでもが、消えていったりもするのですから。
私も起業した当時、「ああこれは、なんて便利なツールだ」と思ったのを覚えています。
だって、仕事さえやっていればネガティブなことや寂しさをその瞬間には、全て忘れさせてくれるのですから。
自分にとって最適な空間であり、瞑想に近い作業だったのかもしれません。
それに目指す先が、たとえどんなに大きな目標であっても、それにたどり着くまでの道を考えて一つ一つの作業を全て分解すると、
案外ものすごく地味でものすごく果てしない作業だったりすることも少なくないということが、結構あります。
目の前の地味な仕事無くして、全てをショートカットして、大きなことなど成し遂げることは、できないと私は考えています。
ですから目の前の仕事に集中することそれ自体を、悪いことだとは、全然思いません。
ですが、これが行き過ぎると、今度は逆のことが起こることがあります。
つまり、全てが”やりたい事”ではなく、しまいには、好きだったことまで、”タスク”のような感覚になってゆき、
自分のやることなすこと、全てに対して優先順位をつけた時、
”やりたいかどうか”の基準ではなく”しなければならないからやる”だけの基準になりかねない、ということです。
もちろん、やりたいことだけをやっていれば全てがうまくいく、なんて、都合のいいことはありません。
努力家タイプの成功者は、あり得ないほどの努力をしていることを知っているし、その中には”あり得ない量のやりたくないこと”も往往にして含まれます。
けれども目の前のことにただひたすら集中することだけでなく、
たとえ、目の前のタスクが埋もれていくとしても”自分がもっともやりたいこと”や、
”もっと本質的な事”について考える時間は、決して、0にしてはいけない、と思うのです。
心の余白って大事ね。今後は心の健康が大事になる時代になります。
私は今後、体の健康はもちろんですがメンタルヘルスが重要な時代になるのではないかと思っています。
コロナ渦で当たり前だったものが、次第にそうではなくなっていきました。
誰もが生活様式までもを強制的に変更しなくてはならないともなると、
一体私たちの人の心の中で起きるのか、経験したことがないので、全くわかりません。
何か一つのことがひどく上手くいかなかくなったり、あるいは何か大事なことを失った時、
「今までの人生は一体、なんだったんだろう」と突如空虚感に苛まれたり、生きている意味を見出せなくなったりする人が後をたたなくなると思うのです。
特に自分の中での優先順位の1番か2番目のものを失った時に、
メンタルの調子が一気に狂ってしまって、立ち直れなくなる可能性だってゼロではないわけです。
しかも、これは他人事なんかではなく、いつ、誰にだって起きてもおかしくないと私は思います。
そんな時に、最後の一滴まで水分が失われて、心がカラカラに枯渇してしまったら・・・。
もう後戻りはできないかもしれません。
けれども、もし自ら、あるいはなんとか、誰かの力を借りて、
心にジョーロで美味しい水を注いで、光に当たる方法を知っているかどうかで、今後の人生が大きく左右されると思うのです。
心にジョーロで美味しい水を注ぐ方法とは?
日頃から、心にジョーロで美味しい水を注ぐ方法。
これは、「自分が自分に戻れる可能性が高い方法を知っているかどうか。」ということです。
たとえば、すごくシンプルなものでいうと、お気に入りの美味しいオーガニックのお料理を食べるとかでもいいですし、
大好きな場所に行ってみる、とかでもいいですし、欲しかった商品を買ってみるでもいいですし、気がすむまでとにかく寝続ける、でもいいと思います。
あるいは、一番大好きな人に会う、とかでもいいと思いますし、自然に触れ合ったりもいいですね。
場合によっては、プロフェッショナル・カウンセラーに頼るのも悪くはないですよね。
とにかく、自分が生きた心地に戻れることを1つでも2つでもいいから絶対に知っておく必要があると思うのです。
もちろんそれだけでは、もしかしたら、立ち直ることは、難しいかもしれない。
でも念のために、知っておきましょう、という話です。
それから、自分以外の人に対しての「ジョーロでの水の注ぎ方」ですが、
責めたりしなくていいよ。あなたは悪くないよ。
あなたを心から必要としているよ。
あなたには、感謝しているよ。
という優しい言葉を身近な人にでもいいので、かけてあげるなど、
ホントーにたったこれだけ!?ということで人は案外、立ち直れたり心に潤いが戻ったりするものだと私は思っています。
心に、水を注ぎ、太陽の光にあてて、人の心の命をふきかえす。
一言で述べるなら、これは「愛」だと、私は思います。
以下は私のフェイスブックでの発言です。
[体が変われば心も変わる]
これは事実です。
けれども一方、オーガニック食の力だけでは、人の生命は救えないと、私は考えています。
オーガニックマニアや健康マニアは、世の中に多数いますし、私もかつてはそれがほとんど全部を解決すると思っていた時期もありました。
ところが、実際に大事なのはそれだけではない、ということがはっきり活動を続ける中で、わかりました。
つまり、カラダの健康だけでなく、ココロの充足感や生き甲斐を見出さない限り、人の生命はきっと救えない、ということ。
https://www.facebook.com/ai.matsuura.750/posts/3243791739041171
私の個人FBから引用。
上記でもお伝えしたのですが、
私が今やっている、素晴らしいオーガニックや農薬を使わない自然なプロダクトを、皆様に広めることに加えて、
そしてこのブログやメディアのように自分自身の言葉で何かを伝えることだけでなく、
中長期的に、何か心身ともに本質的な人生を送る人を、オーガニックを通じて、増やすできる方法はないだろうか?
心と体両面にアプローチをできるような。
心に、水を注ぎ、太陽の光にあてて、人の心の命をふきかえす。
これは、これからIN YOUの事業を通じ、そして個人的にもやっていきたいと心から思える、最大のテーマです。
どうやるのかまでは、まだ見つかっていません。
けれども、引き続き、自分を内観したり、世の中の人の気持ちを知ることによりその具体的な方法を考えていきたいと思っています。
それでは今後ともIN YOUの応援のほど、よろしくお願いします。
またお会いできる日まで。
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