小学校卒業後、中学・高校に行かないと決めた23歳のわたしが教育の多様性について考えてみた|Welcome to 新しい不登校の時代-色々な選択-
小学校卒業後、中学・高校に行かないと決めた23歳のわたしが教育の多様性について考えてみた|Welcome to 新しい不登校の時代-色々な選択-
2020年文部科学省による調査では、何らかの理由で小・中学校を長期にわたって欠席する所謂不登校児が過去最多に達したことが分かっています。その数およそ18万人。小学校では0.8%、中学校では3.9%になり、平成3年の約6万人に比べると30%以上も増加しています。(※)
人の数だけ道がある。
多岐に及ぶ理由の中、今回はとくに“学校が合わない・学校の在り方に疑問を覚える”お子さんや親御さん、また過去に違和感を覚えた方に、学校に行かない生き方の利点・欠点を私自身の体験と共にお伝えしていきます。
(注:以下の内容はあくまで個人の見解です)
わたしの話~なぜ中学校に行かないと決めたか
表題にもある通り、私は小学校を卒業後、日本の教育機関には一切通っていません。
そして、これは両親や周りの選択ではなく、私自身が小学校6年生の時に決めたことです。
当時私には、中島デコさんのような料理研究家になりたいという夢がありました。
ジョンシーモア著、 自給自足の本をバイブルにしていた私は、料理だけではなく、野菜を育てるところから始めたいと、将来的には農業高校に進学する計画も立てていました。
にもかかわらず、小学校の卒業を2週間後にひかえたある日12才の少女は気付きます。
「高校に行くまでにはまだあと3年も学校に通わないといけない…」
子どもの頃の一年の長かったこと、長かったこと。
考えた末に私は、3年間学校に通い自分にとっていま興味のない事を学ぶより、いま自分がいちばんやりたいこと=農業の実践という決断を下します。
幸いにも、両親と周りの大人の理解に恵まれ、福井県の萌叡生活塾という場所を見つけた私は、あれよあれよという間に新しい環境での生活を始めてゆきます。
萌叡生活塾(以下塾)は、今から30年ほど前に東京から移住して来た5人の男女(現在は、メンバーの高齢化により人数に変化あり)によって編成される自給自足の生活塾です。有機農業・養鶏・薪割り等の田舎暮らしを通して、人間が本当に必要な生きる力の大切さについて訴えています。
中学校の3年間をまるっとこの塾で過ごした私は、農業だけではなく、薪窯でのパン焼き、ごはんづくり、鶏の解体等を日々こなしがらたくましく成長していきます。
世間一般的にみれば、不登校の問題児だった私ですが、そもそも本人が全く気にしていなかった、むしろ望んで行かなかった為、塾長の谷崎氏はこれを
『明るい不登校』
と呼んでいました。
ちなみに中学時代、漢字以外まともに勉強していなかった私の当時の一般的な学力は0でしたが、その分同年代の子に比べて生きる力は+100くらいだったと思います。
中学校・高校に行かないメリットとデメリット
表題の通り、私は中高には行っていませんが、2015年12月(高校3年生の冬)に、独学で高校卒業程度認定試験(以下高認)に合格しています。
6年間まったく学校の勉強をしてこなかった私ですが、高校3年生になる年の1月
『やりたいことをするなら、一般的な勉強もしてその上で続けた方が人間的に格好いいのではないか?』
と気づき、父の激励も相まって一念発起。
そして勉強期間およそ10か月で中高すべての勉強をマスターし、一発合格を果たします。
この間に使ったのは、中学校から給付されていた教科書と、高認の参考書のみ。
分からない所は両親に手伝ってもらいながら、完全に独学で勉強しました。
この試験は、満16才以上~受験可能で、合格すれば18才の誕生日から効力が発生します。
合格すると高校卒業者と同等程度の学力があるとみなされることから、専門学校、海外含む大学への進学が可能になります。(※)
これらの理由から私は、後に進学したくなった時のために高認の取得を強くおすすめしています。
さて次項では、いよいよ実際に中・高にいかない場合の利点・欠点を具体的にお伝えしていきたいと思います。
中学校・高校に行かないという選択のメリット
1、自立心が旺盛になる
学校に行かないと基本的に行動はすべて自分の選択によって生まれます。
答えが用意されているわけではない日常で自分で考えることの大切さに気付く、挑戦して失敗もすれば成功もしながら逞しく成長していきます。
2、世間の常識に囚われなくなる
一般的だと考えられている事に良くも悪くも執着しなくなるため、別の目線から物事を見れるようになります。
そして誰かと同じではない、自分の考えをきちんと持った、世界でただひとりの自分になっていきます。
3、自分の時間を自分で管理できる
あなたの時間はあなた自身のものです。
その分責任もありますが、勉強するにしろ、私のように興味のあることに思いっきりうちこむにせよ、学校のように決まった時間のなかで始まり・終わりがないので、好きなだけひとつの事に時間を割けます。
私は、高認の勉強をしていた時苦手な数学の問題を心から理解できるまで、何日でも時間を掛けました。
また、周りの人との進み具合を比べなくてもよかったため、自分のペースで勉強に励むことができました。
現代社会において、本当に自分のために割ける時間というのは果たしてどれほどあるのでしょうか。
大人になるにつれ、守らなければならぬこと・人が増えおのずと増え自分の時間も限られていきます。(もちろん、一概には言い切れませんが)
10代の頃に、自分の為だけに惜しみなく時間を投資する。
簡単なようでいて、誰でも出来ることではない、だからこそ価値があると感じます。
一般的に、本当に好きなことをして生きている人は他の人から羨ましがられ、そうとは見えない一線を引かれます。
「みんながみんな、やりたいことを出来るわけではない(もしくはそう思っている)」と理由をつける中、たとえ今は少し変わっていても自分を持って進んでいるあなたは、輝いていると思いますし、その真価はのちのち必ず姿を現してくると思います。
中学校・高校に行かないという選択のデメリット
1、自習を続けるにはそれなりの忍耐が必要
独学で勉強を続ける場合、例えば「朝の9時から夕方の5時までは何があっても机から離れない」というくらいの勢いで集中する根気強さが必須です。
また、スマートフォンが身近にある現在、脱線しないよう勉強中はマナーモードにして、調べもの以外は触れないようにするなどの対策も必要になってきます。
また、何のために自分が勉強しているかを忘れないため、紙に書き壁に貼っておくのも1つの案だと思います。
2、同い年の子と触れ合う機会が極端に減る
私が特に感じたのが、この課題です。
学校に行かない事によって、同世代と会う機会が極端もしくは皆無になるため、のちのち話すときに緊張してしまいます。
私はもともと内気なので、個人差はあると思いますが。
私個人の経験としては、ある時期、同年代の子が沢山いるような場所に行くのが怖かった時があります。
彼らが何を考えているのか皆目見当がつかず、後ろ指をさされているのではないかと被害妄想に陥りかけたこともあります。
その反面私を助けたのが、1人いつでもなんでも相談できる人が周りにいたことです。
親御さんでなくても近所の物知りのおじいさん、もしくは習い事の先生誰でも構いません。
1人でも、自分のことを学校に行っている・いないに関わらず、常に変わらず接してくれる人の存在はとても貴重になってきます。
いま、もし私が10代の自分にアドバイスするとしたら、
「同年代の友達はとても大切だけれど、今いなかったとしても、それがこの先必ずできない訳ではない。」
ということを伝えたいです。
行動範囲が広がるようになると、おのずと仲のいい人は出来てきます。
かくいう私も、10代の頃は文通相手を除き同年代の友達は1人もいませんでした。
仲が良くなんでも話せるのは年上の人が多かったですが、逆にいえば社会に出れば必然的に色んな世代の人と知り合うようになってくるので、年上の人と気軽に話せるスキルは大事になってくると思います。
そして、友達は、数ではなく質です。
たった1人でも、その人の事を心から信頼出来て、その人がいるから自分も頑張れる、そう思える人が生涯に1人いたら私は幸せだと思います。
3、肩身はせまい
はっきりいって肩身はせまいです。
当たり前だと思われていることをしていないために(逆にいえばそれだけの理由で)、中には心ないことを言ってくる、もしくは陰で言う人もいるかも知れません。
うちの両親、特に母親は私が中学に行かなかった時、まだ私の妹弟が小学校に行っていた為、何人からは無視されたりした時もあったようです。
が、母いわく、離れていく人は離れていく人。
難しいですが、ある程度の割り切りは必要になってくるかと思います。
学校に行かないのは「負け」ではない
不登校は恥ではない
いったい誰が「不登校児=問題児」という風に言い出したのでしょうか。自分の幸せは自分でつくる。
人生は一度きりです。
理由はどうであれ、学校が合わなくて不登校になったのではなく、自分には合わないから行かないことにした。
言い方の違いだけですが、内容的にはかなり変わってきます。
大切なのは、
いつでも自分を信じること。
特に高校時代を私は、暗闇のなか1人で手探りで歩いて進んできました。
完ぺきだったとは思わないですが、後悔はしていないですし、やり直そうとも思いません。
それというのも、私は常に、
大丈夫、絶対に何とかなるさ
と思って生きてきたからです。
私はこれを「根拠のない自信」と呼んでいます。
いま自分がしていることが自分にとって最良の選択。
誰もやったことのない事に挑戦する人が次の時代を創っていく。
私は今日もそう信じて生きています。
デンマークフォルケホイスコーレのすすめ
少し話は逸れますが、高校卒業時点ですでに大学でなにを学びたいか・将来なにになりたいかということに答えられる人の方が稀なのではないかと思います。
デンマークにある『フォルケホイスコーレ』という制度をご存知ですか?
別名『人生のための学校』と呼ばれ、その名の通り、試験や成績のない全寮制のがっこうです。
17歳半以上であれば誰でも行けるこの学校では、政治学、芸術、スポーツ、社会福祉、哲学など、特徴的なコース・科目があり、公教育から独立した私立の学校ながらデンマーク政府が学費の約7割を助成していることで知られます。
デンマークでは多くの若者が高校を卒業した後、自分の本当に好きなものを考えたり、社会人になったあと、自分の生き方を見つめ直したりする場所としてフォルケホイスコーレを選びます。
ちなみに、私の行った学校は特に舞台芸術をメインとしており、私はそこでコンテンポラリーサーカスを始めました。
世界中から若者を始めとした色んな世代の人が集まり、また基本的に英語を使うので語学力の向上だけではなく、様々なバックグラウンドを持つ人たちと知り合うことが出来ます。
出典:「一般社団法人IFAS」
「学校に行く・行かない」は「いいか・悪いか」ではない。自分の選択に誇りを持つ
一般的に言われている、
・良い高校に入るために中学校で勉強する
・いい大学に進学するために、大企業に就職するために大学をえらぶ
という考え方。
人によってさまざまだと思いますが、私はこの中のどこにも「いま」という一番貴重な時間は存在しない、そう考えています。
何かの理由をつけて本当にやりたいことを後回しにするよりは、例え少しくらいリスクがあったとしても挑戦する方が生きているということではないのでしょうか。
私が親になったら、子どものやりたいことを犯罪でない限り100%応援したいと思っています。
送り出す代わりに失敗して傷ついたら、いつでも温かく迎えてあげられる場所でありたいです。
これは、私の両親が私に与えてくれたことでもあります。
もし、あなたが今学校に行くかどうかを迷っているとしたら、これだけは忘れないでおいて欲しいです。
人と違うということは素晴らしい事です。
それがあなたの個性です。
まだまだ多様な生き方が認められにくい日本では、時として息苦しさを感じることがあるかも知れません。
ですが、悩み苦しんだ分だけまた人は強くなります。
そして、辛いときにこそその人の真価が問われます。
自分でいることに妥協しない、その選択をしたあなたを誇りに思っていて下さい。
なにが良いか・悪いかではなく、自分のめがねでものを見ることの大切さ。
今あなたがいる場所はこの広い世界のほんの一部。
地球の大きさの分だけまた可能性も選択肢もあることをどうぞ忘れないでいて下さい。
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