農薬のかかった輸入野菜や果物の裏側。「安いから買う」というあなたの今日の購買行動が、未来の日本の食卓をダメにしています。
こんにちは。
IN YOUオーガニックエキスパート 佐藤ようこです。
IN YOU読者の皆さんは日々口にする食品の安全性に関心が高い方々が多いことと思いますが安心できる食品を、普段どんな風にして手に入れていますか?
一般的なスーパーなどでも、添加物を使っていない食品や、有機栽培の農産物、有機JASの商品など少しずつ見かけるようになってきてはいますが、その数はまだまだ少ないのが現状です。
スーパーにはびこる輸入野菜の実態。
私は、地元で普段利用しているスーパーが2軒あります。
1軒は、全国チェーンの傘下にある大手スーパー、もう一軒は生協系のスーパーです。
日頃から観察していると、二つのスーパーの品揃えや産地にはだいぶ差があることを感じます。
我が家の食品購入は、有機栽培の宅配、一般的な生協の宅配、そして上記の2軒のスーパーで8割くらいを占めています。
残りの2割は調味料や、特殊な食材など「このメーカーのコレ」と決めているものがあるので、自然食品店やWEBサイトなどで購入します。
生協系のスーパーは、比較的国産のものを多く扱っています。
外国産のものも扱ってはいますが、国産のものと併用しておいてある場合も多く
(韓国産のパプリカと、国産のパプリカなど)選択肢はゼロではありません。
一方、外資系の大手チェーンや、一方大手チェーンのスーパーは、基本的には「最もお得なもの」を扱っているのがわかります。
1種類の野菜について、産地はほとんどの場合1箇所で、安さを優先するためでしょう。
外国産のものが多い印象を受けます。
国産のものしか買わないと決めた場合、値段を問わなかったとしても手に入らないことがあります。
ちなみに現状としてお伝えすると、有機栽培や無農薬栽培、あるいは化学肥料無使用などの野菜は、扱っていません。
できる限りオーガニックを購入しますが、もしどうしてもてに入らないという場合は、
我が家では「やさい洗い用の洗剤」を愛用しています。
「慣行農業の農家が悪い」わけではないという意見。でも、それって本当?
私自身、安全なものを食べたいし家族にも食べさせたいと思っている消費者の一人です。
買い物に行った際に自分の望んでいるような品質のものを見つけられないと外国産の野菜や、農薬がたっぷりかかっていると思われる野菜を「目の敵」のように思ってしまうことがあります。
ただ、有機農法農家さんとお話しする機会を持つと
「慣行農業をしている農家さんは、農薬のことを勉強していないことも多く、
農協から言われるがままに使っている農家も多い」
という話を聞いたりします。あるいは「農家は、自宅用に作っている野菜には農薬を使わない」という話も、一般的によく聞きます。
そんな話を聞くと、「安全ではないとわかっている農薬をなぜ消費者向けには、使うの??」と思ってしまうこともあります。
日本の農業、今の姿に至るにはどんな経緯があったのか。
IN YOUでも、度々農薬の危険性については取り上げていますし、読者の皆さんも現代の日本の農産物については知識をお持ちだと思います。
国内のスーパーで販売される商品の殆どが、体に害を及ぼす添加物・農薬・化学肥料まみれです。日本を変えるためには、まずあなたの認識を変えてください。
私自身は、「安全なものを食べたい」という意識は長い間持っています。
お料理教室などの際には参加者の方にもお伝えしていますが、「なぜ、日本の農業は今のような状況になってしまったのか?」
についてはまだまだ疑問が多いので、こちらの本を読んでみました。
そして、驚くべきことがたくさんありました。
そこで今回は、過去から現在に至るまでの日本の農業の概略から、
今後私たちが日本固有の風土の中で、安全に美味しいものを手に入れるためにはどうしたら良いのかを考えてみたいと思います。
現代に至る農業の変遷は第二次世界大戦後に遡ります
現在の日本の食料自給率は40%を切っていることはご存知だと思いますが農林水産省HPより(平成28年度データ)
実は、戦前(第二次世界大戦前)から、日本は恒常的に米不足でした。
米作りが安定していた1935年のデータで見ると国内需要量 1100万トンに対し生産量は900万トン(自給率約81%)。
不足分の200万トンは、当時植民地だった、台湾や朝鮮からの米で賄っていました。
日本政府は、植民地である台湾や朝鮮で農業法人を作り土地を強制的に買収した上で、
5割を超える高い小作料で朝鮮農民に米を作らせ、安く米を買い上げて日本の低所得者層へ販売しました。
一方で日本の農業も過去から連綿と続く地主制の元にありました。
農地の約半分は地主が所有しており、自分の土地だけで農業を営んでいける農民は全体の3割にすぎません。
そして、全く自分の土地を所有できない小作農民が3割、残りの農民は、自作地と小作地を併せ持っているという状況です。
小作農民は、高い地代、台湾や朝鮮からの安い米との競争、凶作などの影響を受け生計が立たなくなる場合も多く、娘を身売りしたり仕事を求めて都会に出たり兵士になったり国策に乗って満州へ入植するそんな状況だったようです。
敗戦後、物資不足の日本では一人/一日の配給量は1042キロカロリーで飢餓水準でした。
その中で始まったのが、アメリカの余剰食料による援助です。
一部の学校では給食として脱脂粉乳を水で溶かしただけのミルクが、ついでパンが支給されるようになり、これが、現代につながり、パン食などのアメリカ的食習慣の入り込むきっかけとなりました。
日本の農地は戦後、GHQによって農地解放が行われました。
自作農が増え、戦地から男性が戻ってくることで労働力が増えたこと、国による化学肥料の供給、アメリカからの農薬(DDT、BHC、パラチオンなど)、
苗代技術の普及、品種改良などにより、1955年には大豊作を記録。
この年の米の収量は例年の1.25倍にも迫る勢いだったといいます。
この時代に農業技術の明暗が出揃ったと言えるでしょう。
一方で食料は軍事にも利用されていました。
軍事的な協定と引き換えに、アメリカの余剰農産物の受け入れが1960年代まで続いていたのです。
また無償で脱脂粉乳と学校給食用の小麦の提供が続けられる傍ら、
1954年に施行された学校給食法では主食はパンであることが記されていたのです。
アメリカの食料戦略が、世界戦略とイコールだったことが伺えます。
このことがきっかけとなり、「麦はアメリカから」の流れができ、日本の農地から麦が消えていったのです。
1960年には「国民所得を2倍にする」という所得倍増計画が閣議決定され、
東京オリンピックや各種高速道路の建設などの巨大プロジェクトが打ち出され、日本は一気に工業化に舵を切り、本格的に国際市場に参入しました。
経済を高成長させるためには、安くて良質なものをたくさん作ることだと考えた政府はその資源となる
・労働力(若く優秀な労働力)
・土地(工業用地・住宅用地)
・水(工業用水・都市用水)
を農村に求めました。
そのため、零細農家を減らし自立経営農家を増やすとうたい
離農を促進したのです。
農産物の自由化も進み、工業製品を輸出し、農産物を輸入するという構造に拍車がかかりました。
農作物の選択
1961年に成立した農業基本法では特定の品目の生産を伸ばすことを柱として掲げました。
それまで米麦やサツマイモなどでんぷん質が多かった日本人の食事をタンパク質、脂質、ビタミンを求める「食の洋風化」こそが進歩であるという考えのもと、
畜産や果樹を伸ばす方向性に変更したのです。
また、大根や白菜などの伝統的な日本の野菜からトマト、キャベツ、レタスなどの洋風野菜へ重点を移しました。
さらには別の国(つまりアメリカ)から輸入した方が安くて効率のよいトウモロコシ、大豆、小麦は国内生産を縮小してゆきました。
農業基本法の柱の一つは「生産性向上」であり、機械化、化学化、装置化、大規模化、専門化、単作化(連作化)の「六つの化」が重視されたと先にご紹介した本の著者は述べています。
もともと日本の農業は、米だけでなく、麦、野菜、果樹などなんても作り、
畑を耕したりするための家畜もいるのが当たり前でした。日本の農業は、作付け体系や作物の多様さに特徴があり、
豊かで多様な日本の風土は作物を選べる範囲が広く、様々な作物を回転させながら作ることができたのです。
それが、上記のように農業政策の方向性が変わったことで
米だけ、野菜だけ、果樹だけ、養豚、養鶏など単一の生産物に特化する経営に変わりました。
単一の作物だけを大量に作る場合には、かつての農業のように、家畜で耕すのでは効率が悪いため、機械化が進み、
連作するために有機肥料が分解されるのを待つことができないため、そして収穫量を増やすために化学肥料を使い、植物の多様性がないために農薬で様々な害を防がざるを得ませんでした。
輸入をした家畜は遺伝子組み換え飼料や、ワクチン、飼育方法までもがセットだった。
かつては農業とともに、せいぜい十数羽、数頭を庭先畜産していたため、
餌は、自分のところで取れる米ぬかやくず大豆、台所の残飯などで足りていたのです。
でも、一経営体(鶏の場合)で数千から数万の規模になると、飼料を自家で賄うことは不可能になり、他から購入するしかありません。
その際、国内の飼料ではコストが高すぎるため
余剰在庫を抱えているアメリカから安く輸入される遺伝子組み換えなどの飼料穀物に頼ることになったのです。
しかも、輸入されたのは飼料だけでなく穀物を食べることで肉がついたり、よく卵を産むアメリカ生まれの品種や家畜用のワクチンや抗生物質、畜舎の構造や飼育方法までがセットでした。
工業化が進むということは、農村部から働きに出た人々が都市労働者となり、そこで結婚したり出産したりと家族が増えることです。
都市は肥大化し、ものも、食料も大量消費されるようになります。
また、経済成長のためには安い工業製品を作ることが必要で、
そのためには人件費を抑えることが必要です。低賃金で人を雇うためには、食費のコストを抑えることが重要課題です。
安い食品を提供するには、安い輸入食品の利用価値が高かったのです。
結果的には、経済成長が輸入農産物を促進する一因だったと言えるでしょう。
本来、自然が作り出す農産物は自然条件に左右され、不揃いであるのが当たり前ですが
前述のような状況の中で、効率化を求めて工業製品のように規格化されるようになり、
見た目の良さを重視する品種が重宝され、虫食いを避けるための農薬散布が増えていきました。
ここでいう自給とは、食の自給だけでなく、生産資材、流通、加工の過程までもふくむ幅広いものです。
かつて自給は農家らしさ、農村らしさの象徴ともいえるものでした。
家の周りの畑には何種類もの野菜がつくられて、旬のものが食卓にのぼり、卵や肉は庭で遊ぶニワトリが供給してくれました。
田の畦に植えた大豆で豆腐や味噌をつくりました。
こうした食の自給だけでなく、営農も自給が基本でした。
自分で採種し、堆肥を作って田や畑に入れ、牛にはワラと山の草、ニワトリには米ぬかとくず穀物、草を与えました。
挽き売りや朝一など、販売も農家仕事のうちでした。そこでは生鮮物だけでなく、家で加工した様々な食材も売りました。
農家仕事の幅は広く、ほとんどを自分の裁量でこなすことができました。
しかしいま、農民の仕事は生産だけに押しこめられ、それ以外の分野は種苗会社や化学肥料、農薬、農業機械、輸送、流通、飼料などの会社の仕事になっています。
生産の分野も行政や農協による指示でがんじがらめになり、例えば農薬の散布は行政が作る防除暦に従うのが通例になっています。
農業の近代化とは、農民の仕事を奪い、自己決定の範囲を狭めてしまう過程でもあったのです。自給をとりもどすことは、近代化でやせ細った農業が全体性をとりもどし、農民が主体性をとりもどす道だと言えます。
【日本の農業を考える】より抜粋
食のグローバル化
このように日本の農業は、かつては零細であっても日本の風土に合った多様性のある形態でしたが、個人経営するのが難しい時代へと突入しました。
上記の引用にあるように、農家が「自給」できる範囲が減った分を担っているのが巨大アグリズム企業です。
種子や農薬、肥料などを供給している「モンサント」を始め、
日本にも同じような役割を果たす企業がいくつもあるのです。
中国で作り、日本で食べる
「グローバル化」は、最近では特に野菜の輸入に関して顕著です。
スーパーで売っている輸入野菜は、どんな風に私たちの目の前に現れるのでしょうか?
例えば中国産のカット野菜や冷凍野菜の場合。日本のスーパーや商社、食品会社などが日本の消費者の好みに合う野菜の品種を現地に持ち込み、現地生産者と作り方、規格、買取条件などについて契約します。
収穫された農産物は契約にそって買い取り、現地でカット野菜や冷凍食品に姿を変え日本に運ばれて、スーパーに並びます。
日本企業が進出すれば、中国には雇用が生まれ、豊かになるように思います。
ではこの仕組みに組み込まれた中国の農民は、得をしたり幸せになっているのでしょうか?
中には豊かになった農民もいるようですが、それはほんの一部です。
企業同士の競争が中国にもちこまれることで、生産過剰や値下げ競争が起きたり、日本向けの厳重な規格から漏れた農産物は廃棄せざるを得なくなります。
また、日本から持ち込んだ品種を作るためには種子が必要で、その値段は中国国内向けのものに比べて6倍にもなるといいます。
高いコストで種子を購入して栽培しても、最終的に規格に合わなければ廃棄になるのです。
日本で、国産野菜が安い外国産野菜に押されて販売不振に落ち込むのは忍びないことですが、
輸出している中国の農民が、その分豊かになったとは言えないところにグローバリゼーションの矛盾が見えます。
海を越えた農産物の取引にはリスクもある。
中国と日本のような関係は、世界中で見られます。
輸出する国は、もともと自国の風土にはない作物を、
農薬や化学肥料を大量に使用して作ります。
そのような農業は、経済的な依存につながるだけでなく、自国独自の農業環境を破壊することでもあります。
さらに、途上国の場合には、国民の食料を先進国からの穀物に依存している場合もあり、二重の依存という健全とは言えない状況をも生み出します。
輸入国にも輸出国にもデメリットがあるこの構造を牛耳っているのが「多国籍アグリビジネス」企業です。
アメリカの穀物商社や、日本の大手ハム会社などが、これにあたります。また、モンサントなど、化学会社の参入も増えています。
食品を市場競争に乗せた末に起こること
農業は本来、自然の営みの中で行われるものであり、
化学肥料や農薬などを大量に使うことで、最終的には私たち人間自身が手痛いしっぺ返しを食らうことは、すでに自明のこととなっています。
アレルギーなどの免疫異常、ガン患者の驚異的な増加、先天的な疾患など、
農薬や肥料、添加物などの化学薬品が原因だと疑われる事象は年々増えています。
経済最優先の社会では「良い」「悪い」の判断基準は「生産性」や「効率」で測られることが多々あります。
でも、農業のように自然を相手にする場合、「生産性」を問うことには無理があるのではないでしょうか?
少なくとも、「自然に基礎を置いた農業」が
「市場競争に勝つ(金額的に安く売ることができる)」ことは、限りなく難しいのが現実です。
「生産性を上げる」ことが「自然に反する」ことを畜産を例に見てみます。
豚も鶏も、体一つがやっと入るだけのケージに閉じ込められ、ただ肉をつけるだけ、卵を産むだけで運動は一切させません。
出産を間近に控えていても、身動き一つろくに取れないのです。
4つの胃で草を反芻しながら草を消化する牛も。
牛舎に押しこめ、草ではなく穀物を与えて、肉をつけるだけ、乳を出すだけの生涯を強要されています。
ちなみに乳牛の場合、50年ほど前は、
1頭あたりから年間に搾る乳は4000〜5000キロでしたが、現在では1万キロが常識なのだとか。
乳質についても基準があり、それを満たさなければ買い叩かれるため高カロリーの飼料を与えたり、草食である牛に動物性のタンパク質を与え、それがBSE(牛海綿状脳症)などの原因になったのです。
安全な食べ物は「その土地独自の農業」から生まれる
どの国にも「風土」があります。
そして、同じ国であっても、 場所が違えば条件は皆違います。
気温、湿度、雨の降りかた、風の吹きかた、土の状態や組成などはそれぞれ独自性があり、栽培に適した農産物も、それぞれの地域で違うのが当然なのです。
巨大アグリビジネスや、グローバリズムと言われる現在の農業は、
その土地固有の風土を無視したものであり、「自然」であることからは遠のいてしまっていると言わざるを得ないのではないでしょうか。
値段に惑わされない。大量消費に流されない
現在の農業でグローバリズムが主流となってしまっているのは「市場競争に勝つ」=「値段を安くする」が目的だから。
そう考えた時に、私たちが安全なものを選ぶ基準の一つは「値段で選ばないこと」と言えるかもしれません。
それは必ずしも「高いものを選ぶ」ということではなく、「安さには理由がある」ことをもう一度認識するということです。
戦後の日本のように、飢餓に瀕しているような場合であれば「まずは食べるものを得る」ために安いものを選ぶ必要があるかもしれませんが、
食のグローバリズムの中で、今の日本は、少なくともそのような危機には瀕していません。
にもかかわらず消費者は安全でないものを選ぶ傾向にあります。
IN YOUの記事でも常にお伝えしているように「買う」という行為、また「買わない」ということも、不買行動でもあり、メーカーと生産者に対する「投票」です。
日々の買い物で、外国産の安い野菜を買うことは、さらに外国産野菜を増やすことにつながります。それは、ポストハーベストをはじめとした農薬の問題や、
フードマイレージだけでなく
今後の日本の農業の行く末を決める投票でもあります。
年々国際情勢が不安定になっている中で、食料自給率が低いことは、国としての自立を歪めることにもなりかねない問題です。
もちろん、現在の国産野菜の現状も、ネオニコをはじめとした農薬の問題などを考えれば「国産」=「安全」とは言えない状況です。
それでも、高い輸送コストをかけ、はるばる海外から運ばれてくる野菜の方が国産野菜よりも安いという不可思議な現状には、はっきりとNOの意見をあげるべきです。
「選ぶ自由」を守る
現代は、WEBをはじめ、海外と容易につながれる社会です。
もはや輸入品なしでは日本人の生活は食も、ライフスタイルも成り立たないでしょう。
そして、海外の文化を取り入れることは刺激的で興味深いことも多々あります。
でもそれは、「選ぶ」自由があるからこそ取り入れる価値があるのです。
安い海外産の野菜もあるけれど、国産の安全な野菜も選べるのであれば良いですが、
「安全な野菜を食べたい」という意思表示せずにいた場合、スーパーには外国産の野菜しかない・・そんな日が来るかもしれないという不安を感じます。
「国産」「安全」に投票する
未来の安全は、今日の買い物の一つ一つにかかっている
グローバリズムを変えることは、一個人にはできませんが、私たちが何を望んでいるのかを社会に伝えるには、
国産の野菜を優先的に買ったり、有機栽培や無農薬栽培に取り組んでいる生産者を応援するのが最も効果的です。
「安全な農産物」は、市場競争力はないかもしれませんが、それでも、それを望む購買層がいるということを私たち自身が日々の生活の中で実践することです。
例えば、外国産の安い野菜と、有機栽培の野菜を比べると場合によって値段は1.5倍くらい違うかもしれません。
でも同じ量の外国産野菜と国産有機野菜を食べたと仮定したら、栄養価は間違いなく、国産有機野菜が多いでしょう。
そして農薬などの化学薬品の摂取量は、外国産がダントツで多いはずです。
それを毎日続けていった先には健康状態に大きな差が生まれるのは必至です。
日本の農業が、今後私たちにとって恩恵の大きいものに変化できるか?は、私たちの今日の買い物の一つ一つにかかっているのです。
本物の自然が育てた作物を味わおう
【INYOU限定】自然農法提唱者・福岡正信氏の血を引き継いだ農園で自然栽培で作られた季節の農薬不使用の果物セットとジャム
現代は何もかもが「甘い」「美味しい」を目指しています。
かつては「苦い」「酸っぱい」「渋い」など、「甘い」以外の味が自然には多かったような気がします。
特に果物はそれが顕著ではないでしょうか。
ともすれば「甘くない」「酸っぱい」=「美味しくない」という意識に偏ってしまいそうな現代ですが、本来の果物の姿はそうではなかったはずです。
柑橘類は酸っぱいものが多かったですし、甘いものも爽やかな甘さや、酸味を伴った甘さでした。
いちごも、りんごも、甘みより、酸味があり、甘みは少なくても味が濃かったのでは?
こちらの果物はまさに、そんな昔ながらの味わいです。
過保護にされすぎず、その代わりに自然の恵みをいっぱいに受けて、生命力に溢れています。
切ってみると、切り口からは汁が滴り、とってもジューシー。
爽やかな甘さで、スッキリとした味わいです。
スーパーで売っている果物と比べると、形は少しいびつで見た目は負けてしまうかもしれませんが食べてみれば違いがわかります!
どんなところでどんな風に育った作物なのかは、こちらを読んでいただくとよくわかります!ぜひご一読くださいね。
誰もほとんど手入れをしない荒れ地に、数々の無農薬の果物が実り続けるその理由を知って私は驚いた。
自分の体の材料に、何を選びますか?
過去から連綿と営まれてきたことには意味があります。二毛作や二期作をしたり、連作を避けることは、土地の力を最大限に生かしつつ、
生きていくのに必要な量の食料を得るための知恵だったはずです。
現在のように、一つの土地で続けて同じ作物を作り続けるのは、農業のセオリーではありません。
連作は本来の土の力を回復させることができないため、化学肥料が必要になります。
化学肥料の原料は植物の組成ではありません。
人間が石油からできていないのと、同じなのです。
本来の組成と違ったものを与えられた作物は弱くなって当然です。
だから虫害が発生しやすかったり、天候にも弱かったりするのではないでしょうか。
有機や自然農法で作物を作っている方たちが、「作物に生命力がある」と一様に言うのはそう言うことなのでしょう。
私たちは、自分の体で作れない栄養素の大部分を植物からいただいて命を繋いでいます。
有機栽培や自然農法で生命力溢れる野菜と化学肥料と農薬で形だけは一人前のひ弱な野菜、どちらを食べたいですか?
都市に住んでいたり、自給自足が難しいのならば、せめて意思表示をしようではありませんか!
未来の日本が、地球が、そして自分の子孫が生命力溢れる世界で生きられるように。
それができるかどうかは、今の私たちにかかっているのです。
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えっ農薬でタネを消毒!?ほとんどの人が知らない新たな落とし穴。農薬のことは気にしても「種子消毒」までは議論にならない日本。ヨーロッパでは種子も有機認証の対象に。国内のスーパーで販売される商品の殆どが、体に害を及ぼす添加物・農薬・化学肥料まみれです。日本を変えるためには、まずあなたの認識を変えてください。
中国がついに農薬規制の方向へ向かい始めた。が、一方規制が緩まっている日本は本当に大丈夫?お隣の国同士、それぞれの農薬事情。
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