私はこうして我が子の学校給食を辞退しました。思ったより簡単!一斉に同じものを食べる学校給食から卒業した理由。
こんにちは。
オーガニックセルフセラピストの煙山です。
学校給食は、年代によっていろいろ思い出がありますね。
時間が経つとカチカチになってしまうパン、アルマイトの食器に盛られたおかず、メロンの形のカップに入ったデザート、そして牛乳。
おかわりする子もいれば、時間内に食べ終われない子もいる。
みんなと一緒に同じものを食べる、学校で過ごす時間のうち、いちばん和やかで平和な時間かもしれない。
私は、たくさんの選択肢がある中「我が子に学校給食を食べさせない」という選択をしました
後でわかったことは、私の他にもお弁当を持参させたいと考えている親がたくさんいたこと。
アレルギーやアトピー、心配な疾患を抱えたお子さんを持つお母さんたちは、学校給食を食べさせることに不安を感じていたのです。
また、O157などの食中毒や集団感染の心配や、内容によっては内部被曝の可能性もないとは言い切れません。(動物性食品は生体濃縮されてさらに危険という話も)。
もちろん、大前提で、全ての給食が良くないものだとは思っていません。
中には良心的なスタッフと優れた献立によって、安全な食材で、かつバランスのとれた給食を支給するところもあるでしょう。
しかし、地域によってもその質はバラバラ・・。
中には炭水化物に炭水化物を合わせる・・などの偏った献立が並ぶケースもあり、学校給食のあり方自体に疑問を持つ親もいるのではないでしょうか?
あなたなら、その不安や疑問、どうしますか?
我が家の場合、就学前の大掃除がきっかけでした。
長男が4歳、長女が2歳の頃から、家族でマクロビオティックを始めました。
私の体調不良から家族まで巻き込んだ食生活でしたが、子どもたちも元気だったので続けていました。
幼稚園に入ってからの2年間は、園の給食にお世話になりました。
その幼稚園はとても食べ物に気を使っていて、ご飯は胚芽米、園で運営する農園で採れた野菜を使うなどしていました。
市販のクリスマスケーキを食べてから、子供の皮膚から膿が出てきて大変な事態に
長男が年長、長女は年少の2学期終わりの日のこと。
園ではクリスマスを祝って、いつもより豪華にケーキがついた給食が出されました。
それはきっと大喜びで食べたことでしょう。普段は砂糖も卵も牛乳も摂っていませんでしたから。
しかしその晩から息子は顔に赤い発疹が出てきました。
見ると体中に広がっていました。娘も同様でしたが、特に発熱もなくいたって元気でした。
その日は友達夫婦のところに呼ばれていて、一緒にクリスマスを過ごすことに。
子どもたちも楽しみにしていたので、行くことにしましたが、ここでまたもやケーキやご馳走をいただきました。
翌日から、二人は真っ赤になって皮膚からひどい血膿を出す日々になってしまったのです。
親としては相当たじろぎ、病院へ駆け込むべきか悩みました。が、食養生の指導者に相談すると、「それは排毒(体の大掃除)だから、薬で閉じ込めない方がいい」と言われました。
冬休みの間、食事と手当てで対応し、完治。
休み明けには何事もなかったように、登園できました。
薬を一切使わずに元通りになった貴重な体験から、“私たちは食べ物で生かされている“という感覚を一層強く持ちました。
春休み、小学校入学を控えて考えたことは学校給食をどうするかについて改めて考え、
家族で相談して、子どもたちとも相談して、色々と話した結果、
「長男は、学校給食を断りお弁当を持って行く」
「長女は、給食のない幼稚園に転園してお弁当を持って行く」ことに決めました。
私の一方的な考えではなく、子供達もしっかりと納得した上での決断でした。
思ったより簡単でした!学校給食の辞退。
1992年、当時は学校給食を断るケースは稀でした。入学式の日、担任の先生にご挨拶し、
「学校給食は辞退します。親が責任を持ってお弁当を持たせますので宜しくお願いします」とお伝えしました。
担任の先生は承諾し、あっさり受理。
特別、医師の診断書を提出とか、栄養士さんの指導を受けることもありませんでした。
この背景には、そばアレルギーの裁判の判決が出た直後という社会的事情があったのです。
そばアレルギーを持つ子どもに、分かっていながら食べさせてしまった学校側の責任と、
危険を回避する必要があった保護者側の責任、両者が問われたということでした。
私はそこまでの事情は知らずに、“親が責任を持って”と言ったことが、学校側に安堵感を持たせたのかもしれません。
その後、夫の転勤や引越しに伴い、小学校を3度転校。
中学に入学する際も同様の折衝をすることになりました。
学校側は、都度、転校先にきちんと申し送りをしてくださったので、特に大きな問題はなく・・
宿泊研修の際は、校長先生と直接お話ししてご理解いただくといった柔軟な対応をしていきました。
今思うと、身勝手で頑固な考えだったのかもしれません。
周囲からも勇気付けられたり奮起したりしながら、子どもの体が成人としてつくられる15歳まで続けました。
一斉に同じものを食べることについて
今でも、アレルギーやアトピー、免疫系疾患などを抱える子どもたちが減ることのない日本。
もちろん一概に給食のせいだけではないと思います。給食を食べていても全くアレルギーにならない子もたくさんいます。
学校はなく、家庭内外で与えられる添加物や農薬の残留した食品、アレルギーの原因になる砂糖など。
実に、色々な原因があると思います。
しかし一斉に同じものを供される現場で、様々なリスクと隣り合わせになっていることに変わりはありません。
現代社会において、働く女性が増えている中、給食制度はとてもありがたいものです。
働く女性が毎日お弁当を作るのはきっとストレスになるでしょう。
また、学校によっては自然栽培の食材を取り入れるなどヘルシーなものを提供したり「牛乳」を撤廃する動きもあるなど、進んだ考え方のところもあります。決して、全ての給食が悪いということではありません。
日本ではじめて自然栽培の給食を取り入れた学校「羽咋市」。農薬に頼らず、自然栽培を選ぶことは、戦争に反対する意思表明でもある。
しかし、教育現場の対応や食事の質がこれまで以上に、煩雑になっていることも否定できません。
子どもたちには、自由に食のスタイルを選べる権利が一人一人に、あるはず
今は多くの選択肢が用意され、自由に選べる時代です。
学校に行く、行かないも、子供の意思を尊重して行かせない選択もあるように、
何を食べるか、食べないかも、子供も一緒に今一度考えてもいいのではないでしょうか。
一人ひとりの体を見れば、アトピーやアレルギーなどの疾患を持つ子もいますし、
体の個体差はそれぞれあります。食べる量も、食材の内容も、種類も違って当然と思えます。
国民皆健康保健制度のないアメリカでは、健康、医療も自己責任ですから、食べることも自分で選択するのが当たり前のようです。
(もちろん、一部はジャンクな給食で、それこそ辞退する親御さんもいらっしゃいますが・・。詳しくは以下を参照)
日本のお弁当レシピサイトは添加物まみれで全く参考にならない?加工品や添加物なしで手作りお弁当生活を作り始めた私から日本のママに伝えたいこと。
さらに、欧米の学校では国をあげてオーガニックを取り入れる国の事例も、あります。
またバイキング方式の学食があって、そこで食べるのもいいし、自宅から持ってくる子もあるようです。
友達と一緒でも、一人木陰で静かに食べるもよし。自由に何をどこで誰と食べるか選択できると聞きました。
もちろん、みんなで同じものを同じ場所で食べる幸せも、あるでしょう。
その場合は、できる限り食材の質や調味料の質も含めて任せて安心安全な学校給食であってほしいと願います。
また、一旦食中毒が起こると、被害は拡大し、死者まで出ることもあります。
当然国の予算や学費の問題もあるでしょう。
コストを削減した給食は、手間もかからず安いですし、「おかげで助かっています」と母親を喜ばせます。
けれども、見えないところで必ず何かが犠牲になっていると思うのです。
学校給食の実施内容は通常、各学校長に一任されています。
家庭での食事が子どもの心身の健全な発達に資していたら、学校給食にそこまで高い要求をしなくてもいいのかもしれません。逆に、学校給食に高い要求をしたところで、親の責任がなくなることもありません。
でも給食の内容を見てみて、もしも心配なら、思ったほど大げさなことではなく、親の裁量や、子供の意志で自由に辞退できるのです。
それが教育を受けさせている私たちの権利でもあります。
給食自体の内容見直しや、制度改正を困難にしているのは、業者の圧力もあったり、金銭的な事情もあるでしょう。
経済的に、普段から満足に食べさせてあげられない家庭だってあると思いますし、
給食のコストを抑えるしかない、という深刻な事情もあるのかもしれません。
しかし、それ以上に食育も家庭教育もお手軽に外注してしまっているのが現代の私たちの姿です。
家庭でオーガニックという選択をすれば自ずと出てくる「給食の問題」。
共働きも増える中、全ての方が手作りをするというのは難しいかもしれませんが、
毎日の食事のことを考えるように、給食のことについて真剣に考える人たちが増えてもいいのではないかと感じます。
学校給食制度というもの
医食農同源 食の構造的暴力を生んだ学校給食 著 波多野毅 から引用第2次世界大戦後のパンとミルクという学校給食は食糧難に喘ぐ日本の欠食児救済を目的に始まり、
一般的にはアメリカから送られてくる小麦や脱脂粉乳が学校給食を通じて飢餓状態の日本の子供たちを救ったと考えられてきたが、その背景にはアメリカのしたたかな経済的、政治的戦略が隠されていた。
中略
具体的には、日本人の主食である米の消費量が年々減少し、代わりにパンの消費量が増え、そしてパン食に合う肉類、卵、牛乳、乳製品などの動物性タンパク質と油脂類が大幅に増えていった。しかし、アメリカの巧妙な戦略とともに、日本政府に「経済援助」と「食料調達」を求める姿勢があったこと、さらには日本の栄養関係者も含めて日本側に過度の欧米崇拝、舶来指向の風潮が底流としてあったことも見逃してはならない。
給食を食べなかったら「いじめにあう」なんて、本当?
第2次世界大戦後の日本と、現代の日本ではあまりに食事情が変わってしまいました。
当初、日本の子どもたちを飢餓から救うという目的は果たした後も、学校給食法の下で続けられる学校給食の意味は何なのでしょう。
給食を食べないと「いじめにあうのではないか」と心配する親御さんもいるでしょう。
ですが、うちの子どもたちがお弁当を持参して通学をしていて、いじめを受けたことはありませんでした。
お弁当でも、他の子と同じように給食当番はこなし、配膳なども手伝いました。
親として子供同士の人間関係を気遣った部分はありますが、ある日の出来事で、私は迷いなくお弁当持参を続けようと思いました。
娘が小学2年生の時でした。
クラスメイトに、一人だけお弁当持参していることを指摘されたのです。
「お前なんで弁当なんだよ」と言われた娘は、すかさず「なんで、あなた給食なの?」と答えたそうです。
以降、だれも指摘してくる子はいなかったそうです。
「人と違うことはとっても素晴らしいことなんだ。胸を張って行きなさい」と、子どもたちにも、日々言い聞かせてきました。
でも、そんな出来事を話してくれた娘に、違いを認めることは、他人を受けとめること。
自分は自分のままでいいということを教えられました。
みんな違って、それでいい
学校給食を断ってお弁当持参を考えたのは、食で自分の健康を取り戻すことができた私にとって、“たかが食べ物、されど食べ物”という体験があったからです。
もちろん子供としっかり相談することも大事だと思います。
子供が「どうしてもみんなと給食を食べたい」と言っているのに無理やり、というのは子供にストレスを与えますし、親のエゴでしかありません。
私の場合は子供の意志も尊重した上で決めましたので、全員が全員、絶対そうすべきだと言っているわけではないのです。
ただ、もし疑問に感じているのに、「みんなと同じがいいだろう」といった浅はかな理由だけで行動できない方がいるのなら・・と思い、自分の体験をお伝えしました。
私は、これから大人になるまで、日々成長し、日々体をつくっていく子どもたちに「制度が整うまで待て」とは思えませんでした。
子供の健やかな成長を願う気持ちはどの親も同じだと思いますが、私は親としてそのとき最大限の手を尽くしたいと思った末の決断だったのです。
人と違うことをしたらいじめられる。
なんでも「右ならい」の慣例で、みんなと同じでなければならないと思い込んでいるのはなぜでしょうか。
何もかも一緒に、同じものでなければいじめの対象になるというのは本当でしょうか。
相手の自由を尊重できず、人と違うだけでいじめられる、そんな社会は許されるべきではないと考えます。
現代の日本人は、大人になっても「みんなと同じがいい」と、目立つのを嫌い、意見が違えば意見をできるだけ隠します。
そして違う意見を持つ人に対して、偏見を持つ傾向もあるのではないでしょうか。
きっと、親世代がそうだったのでしょう。
今後もそれを繰り返すか、変えていくかは、今大人である私たちがどう若い世代にパスを投げていくか。
今後、親となる若い世代の意識に基づくのかもしれません。
親として我が子のために手を尽くしてやりたいと思うことを諦めていませんか?
大丈夫、きっと、一人からでも始められます。
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